みんな「おんなじいのち」

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「ずっとこの生活を続けたいから、もう(放火は)繰り返さない。こんな気持ちになったのは初めて」小柄な男性が米寿の祝いにもらった色紙と花のポットを自室で誇らしげに見せてくれた。北九州市に住む福田九右衛門さん(88)は軽度の知的障害があり、前科11犯。だが、刑務所を最後に出所した2016年から3年以上、穏やかに地域生活を営んでいる。福田さんを支えるのは同市のNPO法人「抱樸(ほうぼく)」約30年間ホームレス支援の活動をしてきた牧師の奥田知志理事長(56)が設立した。法人本部の「抱樸館」の中にある「ついのすみか」と呼ばれる天涯孤独な人のための施設が、福田さんの住まいだ。

福田さんは74歳だった05年12月末、刑務所を出所。行くあてもなく、万引をして警察に保護されたり、自治体の福祉事務所に連れていかれたりした。だがどの公的機関もその場限りの対応に終始し、福田さんに居場所を提供することはなかった。出所から8日後の06年1月上旬。寒さをしのいでいたJR下関駅の木造駅舎を追い出されると、未明にライターで火を付けた旅行パンフレットを駅舎脇の段ボールに投げ入れ、駅舎を焼失させた。逮捕後、動機について「刑務所に戻りたかった」と供述。累犯障害者の象徴的な事件だった。

事件の4日前、福田さんが立ち寄った北九州市でホームレス支援の新年の炊き出しをしていた奥田理事長は「あの時に巡り合っていれば…」と、痛恨の思いで逮捕後から面会や手紙のやりとりを重ねた。08年3月の山口地裁判決は懲役10年。奥田理事長は「社会の中で生き、死んでいくのがあなたの責任。待ってるよ」と伝えた。福岡県の「地域生活定着支援センター」の運営も受託するなど環境を整え、約束通り、仮出所した福田さんの身元引受人になった。「それまで刑務所に迎えに来てくれた人はいなかった。うれしかった」福田さんは今も当時の感激を口にする。出所後には下関駅を訪れ、謝罪。一時はふらっと行方をくらますなど不安定な時期もあったが、今はすっかり落ち着き、奥田理事長と一緒に、経験を語る講演活動もしている。

抱樸のモットーは「おんなじいのち」属性や条件で人を排除しない。成育歴や疾病などは解決できなくても、トラブルや困り事に家族のように寄り添う。仲間が亡くなったときは、すぐそばの東八幡教会で見送る。看取りまで関わり続けるのだ。

「全国新聞ネットニュース」より