「 公的年金だけでは十分ではない、老後30年間で2000万円の貯金が必要になる」と指摘した金融庁審議会の報告書が不安を煽っている。否、2000万円でも足りないという意見まで飛び交う。政府が「年金100年安心プラン」と唱えてきたことが、嘘だったのかと憤りを感じる。では、貯金が幾らあれば安心なのか、これについて考える時、トルストイの書いた『人にはどれだけの土地がいるか』という物語を思い出した。
主人公であるパホームは、貧しい農夫だったが段々と成功していく。そして、最後には広大な土地を非常に安い値段で買えるという話を聞き、遠路はるばるその地にやって来た。但し、それは夜明けから日没までに、スタート地点に戻って来なければ、土地を得ることはできず、金も没収されてしまう。パホームは、死に物狂いで走り続け、スタート地点にやっと辿り着いた。しかし、彼はそこで倒れ、息絶えた。彼はそこで2m四方の土地に埋められ、人生を終えた。お墓を掘った人は言った。「人にはどれだけの土地が必要なんだろうか」結局のところ、本当に必要だった土地は広い土地ではなくて、自分のお墓にする小さな土地だった、という話である。
主人公のパホームは、命に目を向けていなかった。土地という財産にだけ目を向けていた。だから命に必要ないような広い土地まで欲しがった。最初は土地を持たずに人の土地で働くことに満足していたのに。貪欲の結果はそのように愚かな結末に至る。命に目を向けていない時には、人は必要のないものまで欲しがる。しかし、命に必要のないものまで欲しがるということは、誰にでも当てはまるのではないか。
だから主は言われた。「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。」ルカ12:15-20。人の命は、その人が持っているものによって決定されるのではない。私たちの命は、神の主権の下にある。だとしたら、私たちの目指すべきことは、「神の前に豊かになる」12:21ことである。 これは、神との関係を豊かにすることである。老後のために貯金すること自体は悪いことではない。ただ神との関係が豊かにならなければ、「愚かな金持ち」のように、幾ら貯金を蓄えても、不安に怯えながら生きることになる。私たちがそうならないように、平安に生きていくことができるように、主は私たちの下に来てくださった。たとえ、今夜、私たちの命が取り去られても、神の前に豊かに生きようではないか。