今週、「親子聖書日課」は1500号を迎えた。1988年10月から始めたので、約29年間毎週休むこともなく発行することができたのは、聖書日課を霊の糧として用いてくださる多くの参加者に励まされたからである。聖書日課で日々御言葉に養われる方は、心が耕されているので、主の言葉に聴き従いやすい。それは礼拝の宣教を聴く姿勢にも表れている。心を開いて聞いてくださっていることがよくわかる。今年も22名の方が参加してくださっているが、まだの方、休んでいる方は参加してほしい。特に、家族で一緒に聖書日課に励むと、主の恵みを深く経験できる。
私が上尾教会に赴任した時、子供たちはまだ小さかった。子供たちの心に信仰をどのように育んだらよいか、それは聖書を一緒に読むことだとわかっていても続けるとなると難しいことがわかった。そこで「親子聖書日課」を作り、問題を出し、コメント添えて、子供と分かち合うことにした。子供は字が読めれば、聖書はどんな難しい漢字でもふりがなが付いているので読める。字を読み始めた3歳ぐらいになると、聖書をプレゼントし、一緒に読み始めた。最初は、一字一字拾い読みであるが、子供は聖書を読めたという喜びを発見した。次に、問題の答えを見つけた喜びを発見した。そして、最後は、聖書それ自体の中身を知った喜びを発見したのである。
食事をいただくように、霊の糧である御言葉をいただくことは、子供たちの心を成長させていった。歴史に関心を持ったり、命や平和、隣人の事に関心を持ったり、神と人のために生きたいという志が与えられていった。親の願いを押し付けては子供は反発するが、御言葉を通して神の願いがわかると、自然と神に従うように導かれていくから不思議である。御言葉には人を生かす力があることに気づかされた。
詩人アルフレッド・テニスンは、「聖書を読むことその事が教育である」と言ったが、箴言22:6にも、「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」と記されている。テモテのように忠実な伝道者が生み出されたのは、祖母ロイスと母エウニケに宿った信仰によって「幼い日から聖書に親しんできた」Ⅱテモテ3:15ことを知ると、いかに家庭での聖書教育が大切であるかがわかる。「わが子は大きくなったので、今からでは無理ですよ」と言われる方がいるが、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」Ⅱテモテ4:2とあるように、食事と一緒に霊の糧を分かち合ってみてはいかがだろうか。「親子聖書日課」はその為にある。