「祈り」という、最後にいちばんよい仕事が残されている

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村田久行(京都ノートルダム女子大学教授)は、老年期を三つの喪失として捉えた。一つ目は時間存在の喪失、「もうじき死ぬのだから、何をしてもしょうがない」と、生きる気力も失う喪失。二つ目は関係存在の喪失、「現役を退いて孤独だ、誰も気にかけてくれない」という、他者との人間関係喪失。三つ目は自律存在の喪失、「人の世話になって迷惑かけ、何の役にも立たず、生きている値打ちがない」という喪失。

しかし、聖書は語る。「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」Ⅱコリント4:16。体の機能は誰でも低下していく。しかし、「内なる人は日々新たにされていく」とあるように、精神的機能や霊的機能を向上させることは可能である。それは人がどれだけの使命感を持って生きるかにかかっている。信仰が生涯現役であれば、時間存在の喪失、関係存在の喪失、自律存在の喪失は私たちの前から消えていくだろう。

コヘレト書の研究者である小友聡先生は、説教の中で次のように語っていた。

「黒沢明監督の古い映画に『生きる』という映画があります。ある役所に勤める男が定年前に、ふとしたきっかけで自分が末期癌に冒されていることを知るのです。彼はまったく無気力な役人でした。住民が公園を造ってほしいと持ってきた嘆願書も、面倒くさいと握りつぶしていました。けれども、自分の命が短いことを知って、この役人は夢中になって公園建設に奔走するのです。そして、ついに完成した公園のブランコに乗って、彼は満面の笑顔で歌を歌いました。命短し、恋せよ乙女、ゴンドラの歌です。これはおなじみの映画のストーリーです。けれども、これが、実は、聖書が私たちに強く勧める生き方です。」

老いの後に来るものは死である。コヘレト書は、「空」で始まり、「空」で終わる。「なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。」12:8。しかし、「死を覚えよ」ではなく、「創造主に心を留めよ」と語る。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」「青春の日々」とは、若い時だけを指すのではない。私たちの気力が失われない内に、「創造主に心を留めよ」12:1、それは神から与えられた仕事をしなさいとの勧めである。ヘルマン・ホイヴェルス(カトリックの神父)は、「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。」と語る。私たちの人生にも、「祈り」という最後にいちばんよい仕事が残されていることに感謝したい。