辛い時、苦しい時、ユーモアが明るさをもたらすことをホスピス医の柏木哲夫先生が語っていた。柏木先生が回診の時、患者さんに「体調はいかがですか」と尋ねたところ、「先生、順調に衰えています」と応えられたのを聞いて、その場が急に和らいだとのこと。この患者さんが、日に日に衰えていくことを拒絶するのでなく、「順調」という言葉で表したように、受容していくことが、実は私たちにも求められているのではないか。誰しも遅かれ早かれ「順調」に衰えていくからである。年を取っていくと、体力も気力も能力も衰えていく。目が見えにくくなり、耳が聞こえにくくなり、体の自由がきかなくなる。また調子の悪いところが出てくる。時には大変重い病気を患う。そして体が弱ると共に、これから先の生活が不安になり、心細さを感じていく。
しかし、パウロはユーモアをもって希望を語る。“たとえ、わたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。”Ⅱコリント4:18。この「内なる人」とは、キリストによってもたらされた永遠の命によって、「日々新たに」リフレッシュされ、充実し、喜びに満たされていく人のことである。私たちの体は確かに日々衰えていくが、主が心を日々新しくしてくださるので、“だから、わたしたちは落胆しません。”同4:18と言い切って、生活を始めることができるのである。
鈴木正久牧師は、癌を患い、56歳で召される直前、「自分は今、死に向かっているのではない、キリスト・イエスの日に向かっているのだ。」と言われ、それを録音テープにこう残された。「使徒パウロは、自分自身の肉体の死を前にしながら、喜びに溢れて、フィリピの信徒に語りかけているのです。パウロは、生涯の目標というものを自分の死の時と考えていません。そうではなくて、それを越えてイエス・キリストに出会う日、キリスト・イエスの日と述べています。それが本当の『明日』なのです。本当に輝かしい明日なのです。そのことが、今まで頭の中で分かっていたはずなんですけれども、何か全く新しいことのように分かってきました。聖書というものがこんなに命に溢れた力強いものだということを、私は今までの生涯で初めて感じたくらいに今感じています。」
私たちは「死に向かっている」と思う時、希望を失う。しかし、「キリスト・イエスの日に向かっている」と確信する時、衰えることにも感謝でき、御国で主にお会いできるという新たな希望が与えられる。私たちは自分の力では日々新たになることはできないが、主を信じて生きる時、日々新たにされていくのである。なんと幸いなことか。