パレスチナ自治区のガザ地区で、イスラム組織ハマスとイスラエル軍との大規模な軍事衝突が続いている。一刻も早く停戦へと至り、これ以上関係のない市民の方々の命が傷つけられ、失われることがないように、ガザ地区の人々に必要な支援物資が行き渡りますように、ハマスによって人質とされている人々が解放されますように、イスラエルとパレスチナ自治区双方の平和のために、祈りを合わせていきたい。
この軍事衝突の背景にある「パレスチナ問題」とは何か。75年前の1948年、国家としてイスラエルの建国が宣言された時、イスラエルの指導者たちは、「パレスチナはそもそも神がイスラエルに与えた約束の地である」と主張した。旧約聖書には、アブラハムの子孫にカナンの地(パレスチナ)を与えるという神の約束が記されているので、パレスチナは元々イスラエルの土地であると。一見信仰的にも思えるこの言葉は、実際は、自分たちの侵略行為を正当化するために聖書の言葉を利用した。
旧約聖書はイスラエル民族によって書かれた書であるので、それがイスラエルの目線から記されているのは当然で、私たちは聖書を読む時、もう一つの視点、パレスチナの人々の視点からも読み直してみることが大切である。イスラエル民族の視点からするとカナンへの定住は「約束の成就」だが、元々その地に住んでいた先住民族の人々の視点からすると、それは「侵略」にあたる。聖書を読むにあたって、このように視点を置き換えてみることはパレスチナ問題を考える上で重要なことである。
1948年のイスラエル建国当時、「そもそもパレスチナ人など始めから存在していない」という恐ろしい論理の下、イスラエル政府はパレスチナの大部分を強制的に自国の領土としていった。もちろん、報復行為は決して容認してはならないが、存在そのものが否定されるという暴力に対して、パレスチナの人々の「私たちの存在を認めよ」との声を、国際社会は今一度厳粛に受け止め直す必要があるのではないか。
存在しているものがあたかも存在していないかのようにされてしまう問題は、パレスチナ問題に限られるものではない。私たちの社会の状況を見渡すと、重大な問題があたかも「なかったこと」にされてしまうことが至るところで生じている。それによって傷ついている人の存在もなかったことにされる。私たちはこれらの「なかったこと」にする力に抗い続けてゆくことが求められている。「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」マタイ5:37