驚くべき「当たり前」       教会員

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午後の昼下がり、トランプや絵あわせゲームに興ずる方、童謡のDVDに合わせて口ずさむ方、熱心に刺し子を縫う方、横になって仮眠を取る方…私の勤めている高齢者デイサービスの昼食後の光景です。しかし中にはちんまりと座ったまま何かに興味を示す事のない方も。ある日、そのような何人かにケアスタッフが「大人の塗り絵」を持ってきました。私も気になっていた方の所へ塗り絵と色鉛筆を持って行き「塗り絵をしてみませんか?」と声をかけると、ニコニコと頷きながら受け取られました。しばらくしてその方を見ると、塗り絵と色鉛筆を前に相変わらずちんまりと座っておられる。やっぱり興味なかったのかな…と思っていると、「あの方はね、色鉛筆のふたを開けてあげて、ここは何色にしましょうか?青が良いですか?はい、じゃあこの色鉛筆をどうぞ…って手に持たせてあげると塗り絵を始められるのよ。」とケアスタッフが教えてくれました。そしてケアスタッフがそのように声かけすると、その方は色鉛筆を動かし始めました。「塗り絵を見て、どこを塗ろうか考えて、色鉛筆のふたを開けて、たくさんある色鉛筆の中から一本の色を選んで、取って、そこに塗る…これって実はすごく複雑な事なのよ。料理とかもそうなんだけど、人って当たり前のように実はすごい事をいつもしてるのよ。」と先のケアスタッフが教えてくれました。料理は相当な脳トレだと聞いてはいたけれど、この瞬間、神様がお創りになった、当たり前のように複雑な行程を経て何かの行動をしている人間、凄すぎるではないか!と感動してしまいました。

これまでの私は、スチュワードシップ月間になると、自分は神様のご用のためにどんな事ができるだろうか、自分は神様からいただいているものをきちんと管理出来ているだろうかと、自分で自分を評価していました。

しかし待てよ。私に何が出来るかの前に、私が神様からいただいているとても複雑な「当たり前」の凄さといったら。例えば朝、手足を使って起き上がり、天気予報を見て今日着るのに丁度良い服を選んで組み合わせて着る。例えば何かを書く、それは箱の表記なら太いペンで大きめに、ハガキならお気に入りの書きやすいペンで小さめに。もう数え出したらキリがない!朝から晩までそんな凄い「当たり前」をしていることに気づいたので、今年のスチュワードシップ月間は、まず私自身を神様に感謝して、神様の召しに静かに耳を澄ませようと思います。

「神よ、わたしの魂はあなたを求める。」詩編42:2