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受難週の祈り

今日から受難週に入る。主はどのような一週間を過ごされたのか、その足取りを辿り、自らの生き方を顧みたい。水曜日の朝と夜の祈祷会では、最後の晩餐の再現をし、主の十字架の血潮をしっかり心に刻みたいと思うので、皆さんの参加を期待している。主の受難とその後の復活の出来事は、マタイによる福音書21章から最後の28章まで、全体の約30パーセントを用いて記している。いかにこの受難週の出来事が重要であるかが分かる。この一週間の出来事は、凡そ以下のようになる。

日曜日 エルサレム入城  マタイ21:1-11

月曜日 宮清め        マタイ21:12-22

火曜日 教えと論争の日   マタイ21:23-26:5

水曜日 ベタニヤでの香油  マタイ26:6-16

木曜日 最後の晩餐、ゲツセマネの祈り マタイ26:17-75

金曜日 受難日         マタイ27:1-61

土曜日 安息日          マタイ27:62-66

日曜日 復活            マタイ28:1-20

祈り・・憐れみ深い、私たちの天の父なる神様

主イエスキリストの受けられた苦しみを覚え、復活へと続く道を辿る受難週となりました。この日曜日は私たちの主イエス・キリストがエルサレムに入られた日です。ご自分の死に場所、最期の時を知って、なお進んで行かれた主の姿は、どのようなものであったのでしょうか。み言葉によれば、そのみ顔はしっかりとエルサレムに向けられていたとあります。揺るぎはありませんでした。

それに比べて、私たちは弟子たちと同じように、揺れ動く地にあって、恐れや不安にさいなまれ、信仰までも萎縮してしまう弱さを感じています。小さな情報に、大騒ぎをしてしまう愚かな者です。復活の主を信じていながら、あなたにより頼むことができないのです。

そのような私たちを憐み、この受難週を通して、あなたを見上げる者としてください。主の歩まれた十字架の道を辿り、父なる神様のみ心に従う者としてください。主の憐みの中でこの一週間が守られ、復活の日を迎えることができますよう、心からお祈りを致します。主の御名によってお祈りを致します。

 充実した楽しいクラスを目指して!

今日から2019年度を迎え、分級は新しいクラスになった。「幼小科」「ユース科」はリーダーも新たになり、幼児から大学生までの参加を期待している。又、成人科は「はこぶね」「パウロ」「サムエル」「オリーブ」の4クラスになり、メンバーは大幅に入れ替わったので、新しいメンバーとこの一年、御言葉を分かち合うことによって、豊かな交わりと学びの機会を得て頂きたいと願っている。又、新しい人が入ることによって、クラスが活気づくので、積極的にお誘いして頂きたい。

充実した楽しいクラスは、リーダー一人の努力だけでは生まれない。メンバー一人一人の姿勢が大切である。まず休まないこと。毎週積み重ねて参加していくことが充実したクラスを生んでいく。又、聞き上手になること。御言葉を聴くことに対して、自分が現実に抱えている課題、悩み、重荷に対する答えを求めつつ聴くと、適切な御言葉が与えられ、そこから大きな力と慰めを頂けるだろう。又、聖書は神からの私達へのラブレターなので、「あなた」「かれ」「わたし」に置き換えて聴くと、神の愛がジーンと伝わってくるだろう。聴くということは、語り手である神の御心を聴いて従うことが求められている。人の話を聴くことに対しても、「自分の聞きたいこと」「聞く」(Hear)のではなく、「相手の言いたいこと、伝えたいと願っていること」を受容的・共感的態度で「聴く」(Listen)ことが求められている。「ああ、そうなんだ」と共感し、感情を汲み取ってあげるなら、相手は自分が受け入れてもらっているという安心感を持つだろう。

御言葉を分かち合うことにも、メンバー一人一人の姿勢が大切である。短い時間の中で、お互いに霊の恵みを聴くことが大切で、一人の人が長々と話すことは控えたい。分かち合いたいことが沢山あったとしても、多くても3つまでにし、3分位の短い言葉でまとめて話すことを心がけたい。むしろ、一つの御言葉を掘り下げて話す方が効果的である。話し出すと止まらなくなり、くどくなり、感情的になる人がいると、クラスの雰囲気が悪くなるので、お互いに気を付けたい。

「ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」エフェソ4:29「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」ヤコブ1:19「話し上手は、聞き上手」と言われるように、お互いが聞き上手になってはじめて、豊かな人間関係が作られる。聞き上手の人とは一緒にいて楽しい!また会いたい!また話したい!と思う。そんなクラスを目指したい!

神の恵みに目を注ぐ   教会員

上尾キリスト教会に転入会させていただいて15年、教会では毎2月3月は、「スチュワードシップ月間」として、教会員による週報の巻頭言や礼拝での証しがなされている。私も過去何回か巻頭言や証しを担当することがあり、その都度自分の信仰を点検する機会を持ってきた。

「スチュワードシップ」という横文字の言葉は何となじまない言葉だろうかと考えつつ、テキスト『神の同労者』にある神から与えられている、時間、からだ、賜物、献金等、神のために用いているのか、自己満足の手段としていないか、吟味する時と思ってきた。そして、信仰がマンネリ化しないために必要なことと思ってきた。

今回、テキストにある「スチュワードシップはクリスチャンにとって神の恵みに目を注ぐことから始まる、喜びに満ちた人生への招きなのです。」との文章が目に留まった。神の恵みは、単に生かされているとか、守られているとか、日用の糧を与えられているとかだけではなく、神との出会いによって180度人生が変えられることにあるのではないか。神に背を向けてきた罪人たる私が神の独り子イエス・キリストを救い主として受け入れることによって、キリストの十字架と復活を信じることによって、私を取り巻く周囲は変わらなくても、私の心が変えられたこと、今までの罪を悔い改め、神と和解させていただき、心に平安が与えられ、感謝が湧き、喜びの人生を歩むことができること、それが一番肝心なことではないかと示された。

「初心忘るべからず」という言葉もあるが、救いの原点に目を注ぐこと、それが神の恵みに目を注ぐことではないだろうか。信仰の出発点を忘れて、スチュワードシップの働きにいくら励んでも、義務感とか責任感とかから、やがて疲れが出てくるのではないだろうか。

私自身信仰生活は33年になる。疲れを覚えた時もある。改めて神の恵みに目を注ぐことから日々の歩みを確かなものにしていきたいと思う。何よりも自分の存在も他の人の存在も神にあって喜ぶ人生でありたい。神を喜ぶことこそ、あらゆる力の源である。

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」イザヤ書40章31節

Amazing grace!

3月24日

今日の礼拝は、同じバプテスト連盟の百合ヶ丘キリスト教会から、音楽伝道師の伊藤真知子先生をお迎えして行われました。

牧師として立てられた伊藤先生は、その日々の中で苦悩の末 一度はもう牧師を辞すると決心されました。そして一信徒として心から喜んで教会生活を送っていた矢先、全く予期せぬステージⅣの癌が見つかりました。

 

「なぜ?どうして?」

 

混乱し、嘆き苦しむ先生は、受け入れ難い現実にもがきながら、それでも神様に導かれていくご自分を見つめ続けてついに、これからの命をもう一度神様のご用のために、先生の賜物を持って、音楽伝道師として捧げる決心をされました。

先生が賛美された曲の一つ、「Amazing grace」はさらに深く、聴く私たちの心を揺さぶります。

Amazing grace! how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

いかなる恵ぞ かかる身をも
妙なる救いに 入れたもうとは

 

伊藤先生の賛美とメッセージが、全国のたくさんの教会で用いられますように。そして、先生のお身体がどうかどうか守られますように。

 

講壇のお花は春を告げていましたよ。

 

 

 

Let’s think!(レッツ シンク!) 教会員

このタイトルを見て「あ!」と思ったあなたは、ドラマ「3年A組 今から皆さんは、人質です」をご覧になっていたのではないでしょうか。かくいう私もどっぷりとハマった一人です。SNSの閲覧数や情報に振り回されて、自分で思考し行動を選び取る力が顕著に低下している生徒達に、一人の生徒の死を通して主人公の高校教師がまさに命がけで訴えかけていくという内容でした。ドラマですから、現実にはあり得ないような場面も山ほどありましたが、節々に教師が口にする「レッツ シンク!」がキーワードでした。

「レッツ シンク!」=「考えて!」

これは何も子どもに対してだけではなく、大人にとっても重要なキーワードではないでしょうか。

このスチュワードシップ月間に上尾教会は、神様から託されている恵みにどう応えていくのか、沢山の方のお話(証)やこの巻頭言から示される2ヶ月を過ごしてきました。その内容は、心がホッと温かくなったり、あらためて再確認したり、刺激を受けたりと、実にバラエティに富んでおりました。証や巻頭言を書かれた方は、神様から託されているものについてすごく考えながら、その言葉を紡ぎ出したと思います。それを見聞きした人も自分に振り返っていろいろ考えたと思います。そしてそれぞれに受け取った「神様の恵みに私はどう応答していくか」を胸に日々を過ごし、また次の年のスチュワードシップ月間を迎えるのです。

というわけで、毎年巡ってくるスチュワードシップ月間は、その度に考えることを繰り返し「私」という人間が成長しながら、まるでソフトクリームのように回り巡って最後にはヒュッと天に向かって伸び、天国で神様に「我が子よ、よくやったね」と迎え入れて頂くことを願うのです。

ところが…。神様の恵みは心地良いものばかりではないこともあるのです。神様は恵みをより確かなものにする為に大きな試練を与えることがあります。しかしそんな時、傷みに涙する傍らに同じように涙しながら伴ってくださる神様がいます。「この試練の中にある恵みは何だろう」と、やっぱり考えながらその恵みの種を確かに受け取り、実を熟させ神様に応答していきたいと思うのです。Let’s think!