Month: 9月 2019

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病者の祈り

大事を成そうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病弱を与えられた

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった

人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと 生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ
~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~

この患者は、最初、大きな仕事をなすための力、偉大なことを成し遂げるための健康、幸福になるための富、人々の称賛を得るための権力、人生を享受するための快楽を神に祈り求めたが、与えられたものは、病弱と貧困であった。これは、一般の人々の価値観からすれば敗北者の人生であり、失意の内に神を呪って死んでいったとしてもおかしくはない。しかし、この病者は、最後に「私の心の中の言い表せない祈りは すべてかなえられた。私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ」と神に感謝を捧げた。まさしく人生の大逆転が生じた。この転換を可能にしたものは一体何なのか。すべてを失いながら、なおも自分は最も祝福された者であると言いうる秘訣は一体何なのか。この詩の中には、その理由は書かれていない。しかし、一つだけ確かなことは、この病者が病気の苦しみの中で、自らの弱さと無力さを知り、神の前にひざまずいたことである。それによって、神との出会いを経験できたのである。天に召された方々の祈りも、病の中で、主に感謝を捧げられた、この病者の祈りがあった。私たちも自らの弱さを知り、神の前にひざまずく者でありたい。

第6回きたかん新しい教会フォーラムに参加しよう!

昨年の「連合結成50周年大会」では、諸教会が直面する課題と、連合の協力伝道に期待する声をたくさん伺うことができた。今日、少子高齢化が進む中で、「子どもがいない」「青年がいない」「担い手がいない」・・など、諸教会は厳しい状況に置かれている。もはや一教会の努力では、これらの課題に向き合うことさえ、困難な時代を迎えていると言える。

そこで、今日の教会の課題に応えていく目的で、「第6回新しい教会フォーラム」を10月5日に西川口教会で開催することになった。「信仰継承」「教会復興」「開拓伝道」「人づくり」について、連合としてどのような協力伝道ができるのか、具体的に提案し、皆さんからの率直な意見を聞きたいと願っているので、是非、参加してほしい。

今日、連盟も含めてキリスト教会では盛んにパラダイムシフト」という言葉が使われている。パラダイムシフトとは、厳密な定義はないが、「発想の転換」「見方を変える」「固定観念を捨てる」「常識を疑う」などから始まり「斬新なアイディアにより時代が大きく動くこと」まで、さまざまな意味で使われている。教会も今までの宣教のあり方では、今日の時代に対応できないところに来ているからである。

『キリスト教会のパラダイムシフト』(柴田初男著)という文章にこう記されていた。“教会は、建てられた地域において、「地の塩・世の光」となるように召されている。そして、「ローザンヌ誓約」以後に示された宣教観、教会観によれば、それぞれの地域に神によって派遣された宣教の民である教会が果たすべき務めとは、「言葉による伝道」のみではない。「行為・良き業」によってなされる「社会的責任」を遂行することにより、この世に和解と正義と平和をもたらすと共に、「地域に仕え、隣人と共に生きる教会」へとパラダイムシフトして行くことが必要であると言われている。すなわち、従来の「伝道のみ」という宣教観から脱皮して、より全人格的・包括的な宣教理解に立ち、地域に仕え、地域と共に生きる教会へとパラダイムシフトして行くことが、今求められていると言える。”

上尾教会も三井住宅に会堂が建って20年、地域の方々との交流によって、皆さんが教会に何を期待しているかが、少しずつ見えてきた。教会が何かあった時の居場所になって欲しい・・・それが災害時の避難所であったり、様々な病や重荷を負う自分や家族の悩みを降ろす場であったり、悲嘆に寄り添う慰め場であったり。教会がそんな居場所になれるように、日頃から隣人の声を聞き、地域と共に生きたい。

最上のわざ      

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり 働きたいけれども休み

しゃべりたいけれども黙り 失望しそうな時に希望し

従順に、平静におのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見つけても妬まず

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや人のために役たたずとも 親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物

古びた心に、これで最後の磨きをかける

まことの故郷へ行くために

おのれをこの世につなぐくさりを少しづつはずしていくのは、真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば それを謙遜に承諾するのだ。

神は最後に一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「子よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。

上記は、ヘルマン・ホイヴェルス(カトリックの神父、上智大学元学長)が書いた『人生の秋に』に紹介されている「最上のわざ」という詩である。この詩は、ホイヴェルス神父が、故郷の南ドイツに帰った時、友人から贈られた詩だそうだ。

年を老い、何もできないと思えるような人生の最期に、「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。」と言う。ここで「最後に残してくださる」と言われていることに注目したい。人生を好き勝手に生きて、何もできなくなった時に、それではこれから祈りでもしようかということではない。そうではなく、常日頃から祈る生活をしていく時に、他のすべてのものが取り去られても、残してくださるものがある、それが祈りだと言う。愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために」祈ることこそ、私たちの人生における最上のわざである。なぜなら、神はその祈りに応えてすばらしいことをしてくださる。私たちは、いつも祈る生活を心掛けたい。

 

平和のためにしてきたことは人生の道だった    教会員

1945年終戦翌年生まれの私が、いくらか戦争に繋がる感覚として覚えているのは 8歳頃の事です。戦後落ち着きを戻した日常もあり、宮城県古川市の七夕祭りも行なわれ町まで見物に行くと、傷痍軍人の奏でるアコーディオンやハーモニカの響きに胸がふさぎました。生活のためだと聞かされた。他方、難病の兄しか口にできない高価なバナナ売りの声も混じっていた。輸入ができるようになったのかも知れない。七夕飾りは美しく揺れていた。また、母は時々、父が戦地から(と言っても、外地に行く直前に終戦)持ち帰ったカーキ色一色のゲートルや外套を見せてくれて、安堵のような気持ちが母から伝わったことなど、覚えている。

中学、高校ではあまり戦争や平和について論じ合う仲間はいなかった。むしろ人生の虚無を個々に漂わす空気は流れ始めていた。高卒後神学校に入ったが、社会人からの学生もいて、折りしも靖国法案が叫ばれ、クラスメイトと一緒に法案反対のために、国立駅前で法案反対の署名活動を始めた。又、特にキリスト教史の得意な親友がいて(後に日本改革派の牧師と結婚)、卒業後も 度々、意気投合し反対運動に参加した。

やがて結婚して子どもも生まれ家族で法案 反対デモに参加した。おんぶしたり、ベビーカーを押したりしながら浦和から東京へ。しかし、子どもが6人与えられ育児で忙しく東京への参加は無理になり、気持ちだけが膨らんだ。子ども達を靖国の英霊にするわけにいかないと焦るばかり。南浦和在住の神学校の恩師に相談すると、自分の近くで始めるよう助言されたがそのままに終わった。やがて靖国法案は廃案になったが、日の丸・君が代、国旗・国歌法案が提出され、再び、親友と連れ立って反対デモで、国会前で雨の中でも座り込みながらチターをならし賛美歌を歌った。信仰の自由、平和、子どもを戦争に送らないと祈りつつ賛美した。国会内の傍聴席にいたが、法案が成立した瞬間、「はんたーい!」と叫んだ女性は即座にだ捕された。高崎から80過ぎた母親と、産婦人科医の仕事を休んで参加していて、いつも一緒に座り込みに参加していたので心配したが数時間後開放された。

平和のためにしてきたことは、私の人生だったなと思える。人々との出会いが与えられ 叫び、祈った人生に神は応えて下さった。そして今、最も身近な上尾教会の多くの方々と平和のために出かけたり、辺野古カレーを食べたり、祈祷会で心一つにしてお祈りできる。御言葉を信じて祈り、平和を先取りしたい。子や孫達のために。

 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」マタイ5:9