Month: 6月 2019

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私たちの心の中にある部落差別

「部落」とは、単に地方の村や町、集落のことを指す呼称ではなく、東北から九州に至るまで全国各地において、都市、町、農村、漁村を問わず、ある特定の差別意識によって差別された集落のことを言う。部落差別の起源は16世紀末からの封建的身分制度によるものであると言われているが、江戸時代における士農工商による差別によって制度として確立した。その頃、部落の人々は、士農工商の下に位置する「えた、非人」という差別的蔑称で呼ばれ、と場で牛や豚の肉を作り出す仕事などをした。

連盟では「部落問題特別委員会」を1981年から立ち上げ、「被差別者の立場に終始立ち切られたイエスを主と仰ぐ私たちキリスト者にとって、部落差別への無関心を差別への加担・罪としてとらえ、この課題への深い関わりを持つことが主のみ旨であり、差別問題解決のため、その戦いの先頭に立つことが福音の証しである」とする基本理念の下で、部落差別問題に取り組んできた。それは教会の中においても部落差別の問題があり、差別の問題は信仰の問題でもある。被差別部落出身者と主の晩餐の杯を一緒にしたくないと拒否することや、「部落と呼ばれてガラが悪い人が来ると教会が混乱するので、その地域には教会案内を配らなくてもよい」などの差別を公然と行ったこともあった。

この部落差別で深刻なのは結婚や就職の時に起こることである。結婚では差別によって自死した人もいた。就職も身元調査をして被差別部落出身だと分かると採用しない会社がある。「部落出身だということを死ぬまで誰にも言ってはいけない」と親は子供に教えなくてはならないほど辛いことはない。部落差別は明らかに人権侵害である。部落差別は、自然になくなると思っている間はなくならない。部落差別についての無理解は、差別された側にとって命に関わるほどのことであるのに、差別する側は自分の加害の結果について、相手の痛みについて、殆どわからない点にある。

このような差別に対して私たちはどう対処したらよいのか。主は当時、差別され排除されていた罪人・徴税人などと一緒に食事をし、病人・障がい者を癒し、共に歩み共に生きられた。主は偏見と差別をなくそうとされた。そして、差別の根源である罪を担い、その罪から解放された道を開かれた。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」ガラテヤ3:26。この世の人はすべて罪赦された神の子である。私たちはすべての人を尊重しながら生きる者とされた。私たちの心の中にある部落差別に気づくためにも、部落差別の実態を学んでいきたい。

教会屋根防水シート 張り替え

上尾教会の会堂が建ってそろそろ20年になります。ご多聞に漏れず、上尾教会もあちこちの補修が必要になってきました(^◇^;)

 

今回は建物屋上の防水シートの張り替えです。雨水が溜まらないように、水がしみ込んでコンクリートを侵食しないように、また、夏は太陽光を反射して建物内の温度を少しでも和らげるように、施工業者さんが最新のシートを職人技でビシーっと貼って下さいました。

 

施工中、特別に‼︎   屋上へ登らせていただきましたよ〜〜(≧∇≦)

 

上尾教会のシンボル、十字架を支えている土台の補修、ペンキ塗りも‼️

こんな光景、なかなか見られるものではありませんからね!

スリリングでエキサイティングなひとときでした(๑>◡<๑)!

 

 

春の特別伝道集合 〜PEZ編〜

5月26日は上尾キリスト教会の春の特別伝道集会でした🍀⛪️🍀

 

特別集会なので、講師の先生も特別に仙台からお招きしました( ^ω^ )!

仙台長命ヶ丘キリスト教会牧師  金丸真先生

 

先生のお話は冒頭から何やら出てくる!出てくる‼︎

会堂の大人も子どもも「ん??」と呆気に取られる中、先生はお構いなしに「次はどれにしようかな〜」と楽しそう( ̄▽ ̄)

講壇の前にズラリと登場したのは…

そうです。PEZ(ペッツ)の入れ物!何を隠そう金丸先生はPEZのコレクター✨❗️✨

このPEZ達が入っていた袋ももちろんPEZ!

ミ◯オンズのキャラクターPEZ達を、今日は聖書物語の登場人物に当てはめて先生のメッセージは始まり始まりー!

いつのまにかみんな先生のお話しに聞き入っていました。

 

午後からは、2011年東日本大震災のボランティアに奔走し、7年間経ってなお終わっていない被災地の現実に寄り添い続けておられる先生の活動を伺いました。

 

今や、私たちはマスメディアを通して、世界のいろんな情報を得ることができます。インターネットの普及でその情報量はさらに計り知れないほど多くなりました。日々、情報は更新され続け、世の中は新しい話題で溢れています。

しかし…

目に、耳にしなくなったからといって、問題が解決したわけでも、終わったわけでもないものが山ほどあること、辛さや哀しみが置き去りにされている現実があることを、忘れないでいる者でありたいと思うのです。

想像の翼をいっぱいに広げて。。

 

 

 

 

沖縄(命(ぬち)どぅ宝)の日

6月23日は「沖縄(命どぅ宝)の日」である。以下の事を私たちの祈りとして捧げたい。

*沖縄を国外と位置づけ、沖縄の苦しみ・悲しみ・痛みに思いが至らなかったことを悔い改めます。 (連盟から戦後、調宣教師夫妻を「国外伝道」として沖縄に派遣した。)

*沖縄の歴史を学び、「二度と戦争を起こさない誓い」を新たにします。

*沖縄バプテスト連盟女性会・教会の交わりを深め、共に福音を担う活動を展開します。

*沖縄の組織的地上戦が終結した日と言われる6月23日は、死者を悼み非戦を誓います。

昨年お招きした神谷武宏先生は、「命こそ宝」の意味ついて下記のように語られた。

「命こそ宝」は、琉球の政治家「蔡温」(1682~1762)の影響がもっとも大きい。彼は政治家・三司官の一人で当時の河川工事や山林の保護などに大きく貢献した。その中でも琉球の政治的思想に大きな影響を与えた。彼が残した言葉に「何ものにも勝って命こそが大切である。他のすべてのものは失っても取り戻すことができるが、命だけは取り戻すことができない。何よりも命を大切にすべきである。」この言葉は、琉球の大事な思想の一つに上げられた。この思想の中には、戦争をするということは、まったく想定していない。

1853年にペリー米国艦隊が琉球国に上陸した時の絵がある。200人余りの海兵隊を率いて首里城を強行訪問。米軍側は銃剣を肩に掛け、サーベルを腰に差しているが、琉球側は何にも持っていない。琉球側に武装する、争いをする、戦争をするという行為はない。

1879年、日本国明治政府による「琉球処分」。この「処分」という言葉に日本の琉球に対する姿勢が如実に現れている。何を持って「処分」か。あくまでもヤマトの視点に立った言葉でしかない。日本は300名余の軍隊と160名余の警察官をもって琉球を制圧した。ここで琉球は、日本軍との大規模な軍事衝突は起きない。何故か?それは、琉球が軍備を保持していない国であったからである。この時、琉球国最後の王であった尚泰王が首里城を明け渡すのには大きな理由があった。祖国が滅びるにあたって、血を流して戦う若者がいた。わずかな武器を取り出して戦う若者がいた。これ以上、命を粗末にしてはいけないとしての行動であった。その歴史が背景となって後に琉歌「命こそ宝」が生まれる。

“戦(いく)さ世(ゆ)んしまち みるく世ややがてぃ嘆くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)どぅ宝”

戦争の世は終った 平和で豊かな世がやって来る 嘆くなよ、おまえたち 命こそ宝。

琉球国が滅びる中で、国は滅びても人の命に勝るものはないという、琉球人の知恵、先人の教えがここにある。この琉球の歴史は、聖書の教えと重なるように思う。

 

ありのままで率直に生きなさい

父の日は、母の日と同じように教会から始まった。今から100年以上前、米国ワシントン州に、男手一つで6人の子供を育て上げた父親を想い、娘の一人であるソノラ・スマート・ドッドさんが、母の日と同様に父の日も設けてほしいと教会に提案し、6月に父の日礼拝を開いてもらったことがきっかけだと言われる。6月というのは父親の誕生月だったそうだ。戦後、この習慣は日本にまで広まった。

インターネットに「理想の父親ランキング]というのがあった。一位はタレントのつるの剛士さん、2位はお笑いコンビ「FUJIWARA」の藤本敏史さん、3位はアイドルグループ「V6」の井ノ原快彦さん。彼らに共通するのは、家族を大事にし、家事・育児に励み、ユーモアのセンスがあること。昔ながらの頑固一徹、家事・育児は母親に任せ、仕事を取る、そんな父親は現代では敬遠されるようだ。

父親に対する御言葉が2つ思い浮かぶ。一つは、「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」エフェソ6:4。もう一つは、「父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。」コロサイ3:21。母親が子供に対してこのように書かれている御言葉はないので、恐らく父親は子供に対して厳しすぎるからではないか。父親が子供を叱る時、その真意が子供には伝わらずに、ただ厳しい父親の姿しか映らず、子供を怒らせたり、いらだたせたりするからだと思う。私も感情的になって叱り、「なぜ、あの時、叱られたのかわからない」と子供から言われたことがあった。そんな親のパワハラが、子供の心を萎縮させ、傷つけるのである。

むしろ、「主がしつけ諭されるように、育てなさい。」とある。口語訳では、「主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」とあった。今日、「薫陶」という言葉を用いなくなったが、とても素晴らしい言葉だと思う。元々は陶器の世界で用いられた。香を焚いて香りを移し、粘土を焼いて陶器を作り上げる。そこから優れた人格の香で感化し、優れた人間を育てるという意味になった。主の香を受けて、私たちも主の香りを放つ者へとしつけられるのである。又、「いらだたせる」という言葉は、「過大な要求をする」という意味である。わが子に対して、過大な要求をすることはないか。子供に夢を抱くことはよいが、夢を押し付けてはならない。「よい学校に入れ」「よい仕事に付け」と、過大な要求をする時、子供はそのプレッシャーで押し潰されていく。私たちは神の作品として造られたのだから、ありのままで率直に生きなさい」と勧めようではないか。

幻を見る者へと変えられていく

ペンテコステは、主の復活から50日目に、主の弟子たちに聖霊が降り、聖霊の力を受けた彼らは大胆に福音を宣べ伝え、各地に教会が誕生した日である。その日、ペトロは集まってきた人々に対して、旧約聖書の預言者ヨエルの言葉を引用して、『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。』使徒言行録2:17と語った。聖霊が注がれると、幻や夢を与えられ、教会が誕生していった。まさに幻(ビジョン)がなければ、教会は誕生しなかったとも言える。上尾教会も48年前、上尾開拓の幻が与えられた一握りの人(西川口教会の井置利男牧師と大原つゆ子さん)によって始められた。

ペンテコステの日に、誕生した教会の大きなしるしの一つは「祈り」であった。主の約束を信じ、待ち望んで祈っていた人たちの上に聖霊は注がれたのである。幻を見る者とは、祈る者である。祈りのあるところに、幻がある。幻は、人間的な目標とか期待とかというようなものではない。今日、少子高齢化の中で、教勢が振るわず、人間的には夢や希望を持ちづらい現実がある。「開拓伝道」という言葉は死語になり、教会の「合併」「閉鎖」という言葉を耳にする。財政面から牧師を招けない教会もある。しかし、そのような中で、神は私たちに幻を与え、夢を与えてくださる。私たちは、大いなる御業を成してくださる神を信じて、絶えず祈る者でありたい。

幻を見ることは、決して楽なことではない。そこには犠牲が伴うからである。幻を見たペトロは、カイサリヤにいた百人隊長コルネリウスの家を訪ねるが、そのことを知ったユダヤ人たちから大きな非難を浴びることになった。幻を見たパウロは、彼に約束されていた地位や輝かしい将来などすべてを捨てて、命がけで福音を語る者となった。パウロはトロアスで「マケドニヤ州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と叫ぶマケドニヤ人の幻を見た時、まだ行ったことのない地に足を踏み入れていく。幻を見るということは、犠牲を払って、一歩を踏み出していくことである。

幻を見ることに、年齢は関係ない。自分が生きている間にその幻が実現することを願うが、実現しなかったとしても、聖霊によって見せられた幻は生き続け、受け継がれていく。初めは一人の幻かもしれない。しかし、それはやがて教会の幻となっていく。聖霊がすべての人に注がれ、すべての者が幻を見る者へと変えられていく。ペンテコステの日に注がれた聖霊は、今も私たちに、大いなる幻を見せてくださる。