Month: 4月 2019

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愛によって互いに仕え合う

昨年度の主題「主の愛に生きる」と聖句心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカ10:27が本日をもって終わるのは寂しい気がするが、私たちの教会生活の指針でもあるので、これからも心にしっかりと留めていきたい。本日の宣教箇所にも、「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13とあるので、私たちが罪から自由にされたのは、愛によって互いに仕え合うという生き方をするためである。

ルターが『キリスト者の自由』の結論で、「キリスト者の自由は神の愛の内にあり、愛によって隣人に生きる自由である。」と語っているが、自由が神と隣人とを愛する愛と結びついていなければ、その自由は多くの場合、勝手気ままであったり、時に傲慢な自己主張となったり、他者をも自分をも生かすことがない死んだ自由となる。残念ながら、自己主張ばかりして、他者を悲しませているような現実を見ないだろか。

「愛によって互いに仕えなさい。」の愛は、「アガペー(神の愛)」である。そして次節の、「律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」とは、自分自身が主の愛によって赦され愛されているように、隣人を主の愛をもって、赦し愛するようにということである。私たち自身にはそのような主の愛はないが、主に従うことを通して、神の愛が豊かに注がれるのである。太陽の光を受けて月はその光を反射するように、神は私たちを通して神の愛を表してくださる。そして、愛するというレッスンを繰り返す中で、愛することが以前よりも容易になってくる。それでも尚、私たちは失敗してしまう時があるかもしれない。しかし、愛によって働く信仰は、私たちのそんな弱さをや罪をも包み込んでしまうほどの力がある。

パウロは自分の罪深さを自覚していた。だからこそ、主の愛によって働く信仰の力を誰よりも理解していた。その力によって、隣人を愛し、教会を愛し、主にある兄弟姉妹を愛し、神を愛した。そして、多くの人々を主の救いへと導くことができた。 私たちは、主の愛によって働く信仰の働きを見たいと思う。そのために、自分自身がどれほど赦され、どれほど愛されているのか、主の愛を日々思い起こしたい。そして、主の愛によって働く信仰によって、隣人を愛し、兄弟姉妹を愛し、教会を愛し、神を愛していきたい。愛によって互いに仕え合う、それが最も自由な生き方である。

昨年度の主題「主の愛に生きる」と聖句心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカ10:27が本日をもって終わるのは寂しい気がするが、私たちの教会生活の指針でもあるので、これからも心にしっかりと留めていきたい。本日の宣教箇所にも、「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13とあるので、私たちが罪から自由にされたのは、愛によって互いに仕え合うという生き方をするためである。

ルターが『キリスト者の自由』の結論で、「キリスト者の自由は神の愛の内にあり、愛によって隣人に生きる自由である。」と語っているが、自由が神と隣人とを愛する愛と結びついていなければ、その自由は多くの場合、勝手気ままであったり、時に傲慢な自己主張となったり、他者をも自分をも生かすことがない死んだ自由となる。残念ながら、自己主張ばかりして、他者を悲しませているような現実を見ないだろか。

「愛によって互いに仕えなさい。」の愛は、「アガペー(神の愛)」である。そして次節の、「律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」とは、自分自身が主の愛によって赦され愛されているように、隣人を主の愛をもって、赦し愛するようにということである。私たち自身にはそのような主の愛はないが、主に従うことを通して、神の愛が豊かに注がれるのである。太陽の光を受けて月はその光を反射するように、神は私たちを通して神の愛を表してくださる。そして、愛するというレッスンを繰り返す中で、愛することが以前よりも容易になってくる。それでも尚、私たちは失敗してしまう時があるかもしれない。しかし、愛によって働く信仰は、私たちのそんな弱さをや罪をも包み込んでしまうほどの力がある。

パウロは自分の罪深さを自覚していた。だからこそ、主の愛によって働く信仰の力を誰よりも理解していた。その力によって、隣人を愛し、教会を愛し、主にある兄弟姉妹を愛し、神を愛した。そして、多くの人々を主の救いへと導くことができた。 私たちは、主の愛によって働く信仰の働きを見たいと思う。そのために、自分自身がどれほど赦され、どれほど愛されているのか、主の愛を日々思い起こしたい。そして、主の愛によって働く信仰によって、隣人を愛し、兄弟姉妹を愛し、教会を愛し、神を愛していきたい。愛によって互いに仕え合う、それが最も自由な生き方である。

教会学校 進級式🌸

3月最後の日曜日は、教会も年度締め。

礼拝の中で、教会学校幼少科の進級式が行われました。

今年度、教会学校によく通ったお友だちに、先生から「一年間よくがんばりました💮」

わぁ〜 プレゼントは何だろ?? ワクワク💕

 

がんばりました賞は。。。!!

先生オリジナルイラスト、子ロバのトートバッグ

聖書に、イエス様がエルサレムにお入りになる時、子ロバの背中に乗って行かれた、という場面があります。子ロバはとっても小さな存在だけど、イエス様を乗せて行く大切な大きなお仕事をしました。

子どもたちも、とっても小さな存在だけど、その笑顔、その成長は教会に元気をいっぱいくれます(o^^o)

子ロバちゃん達、今年も元気に大きくなぁれ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

 

死は勝利にのみ込まれた

私たちは必ず死を迎えなければならない。だから、中世の修道院では「メメント・モリ(汝、死すべきことを覚えよ)」と門に記した。又、作家の三浦綾子さんも「私にはまだ死ぬという仕事がある。」との言葉を残した。私たちは自分の死を真剣に考えるべきであるが、死を恐れるあまり、死から目をそらしてはいないだろうか。「死んだら万事休す」と思えるほど、死が勝利し、私たちをのみ込んでしまう現実を恐れるのである。

しかしパウロは、「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」1コリント15:54-55と、高らかに勝利宣言した。これは何と力強い、喜びに満ちた宣言であろうか。死の威力はまるで嘘のように消え失せてしまった。一体このような死に対する勝利はどこから来るのか。それは神ご自身が「死」という人類最大の敵を、勝利のうちにのみ込み、その力を打ち砕いて亡きものにしてしまったのである。それによって私たちを支配していた死に、私たちは逆転勝ちして勝利をつかむことができたのである。

私たちが死に敗北するのは何故か。それは死のとげである「罪」があるからである。そして律法はその罪を増大させ、律法を守らなければ、神の罰が与えられることを絶えず人に知らせ、絶望に導くのである。しかし主が十字架で死んでくださり、復活してくださることによって、この死のとげを抜き取ってくださった。私たちは主を信じて主に結ばれる時、死のとげが抜き取られ、主の復活の命に与る者とされる。

死はあっけなく、主の勝利のうちにのみ込まれた。復活の主という勝利者にのみ込まれて、滅ぼされたのである。主はいったん生き返ってまた死んだのではなく、3日目に復活された主は、今も生きておられる。単なる蘇生ではない。主は、死とは無関係の罪なきお方であり、死に対して、究極的な勝利を果たされたのである。

「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」ヨハネ14:19と、主は死を克服し、主を信じる者に、復活の命を約束してくださった。私たちは死に対して、真正面から向き合うべきではないか。それは、最期の時をどう迎えるか、「終活」することよりも、死後はどうなるのか、ということを問うことである。何の答えも見いださないままに死んでいくのか、それとも主にその復活の命を見いだし、真の平安に与るのか、そのどちらを願うのか。今日のイースターの良き日に、主を信じて、主の復活の命に与り、「死は勝利にのみ込まれた。」と勝利宣言する者でありたい。

 

コイノニア コンサート2018

今年もやってきました!コイノニアコンサート🎵🎵

「コイノニア」とは「みんなで楽しい時間を共有する」というような意味があります。分かりやすく言うと「お楽しみ会」といったところでしょうか (^^)v

ソロあり、グループ賛美あり、楽器演奏あり、エントリーした面々が思い思いの形でとっておきのものをご披露しました!

 

🧡🎵🧡🎵🧡🎵🧡🎵🧡🎵🧡🎵🧡🎵🧡

上尾教会最高齢者のOさんも参加、分級クラスの皆さんの賛美歌と、上尾教会のダンディOさんの「サンタルチア」は見事な声量にやんやの拍手喝采!

 

ユースからはモーツァルトのピアノソロ演奏。 「私、やっぱりピアノが好きだ〜❣️」と優しい音色を響かせてくれました。もう一つ分級クラスからのエントリーの皆さんは、昔取った杵柄の男声コーラスが紅一点のEさんを支えて味わい深い賛美歌を。

 

「『アメイジング グレイス』いろんな国の言葉で歌ってみた!」企画。日本語、韓国語、中国語、ベンガル語、ドイツ語が登場。たとえわからない国の言葉でも「神様の恵みはすご過ぎる!!」の賛美は一貫しているので、神様の愛と音楽は世界共通だということを再確認しました。❤️

もう一人のユースは、相棒のエレキギターを抱えて登場、曲は米津玄師の「Lemon」!カッコいい〜〜✨(*≧∀≦*)✨

 

ABC女子会によるコーラス(注釈:A あげお B バプテスト Cチャーチ)(o^^o)!  二曲の賛美歌かと思いきや合体して言葉とメロディが素敵に重なり合う新しい賛美歌をご披露しました。

フィナーレはこれも毎年恒例、上尾教会の2018年度の歩みを振り返るスライドショー。

「あーそうそう!」「この時ねー!」とあっという間の一年の中に、神様の恵みは山のようにたくさんあったことを思い出し感謝で一杯でした💕💕

 

まさに「Amazing Grace」!!!

 

 

Korean Kitchen!

3月最後の土曜日、ユース&子どもたち&お手伝いし隊が加わって「Korean Kitchen」訳して「韓国料理作って食べよう会」が行われました🥘🥘🥘

 

韓国料理の手ほどきをしてくださった張さんご夫妻❣️

なんと、師匠は食材調達に加え、仕込みを一手に引き受けてやってくださいました!!

さぁ、それではお料理開始です!!

 

キンパ(韓国のり巻き)

ちびっ子、夢中で のせて、巻いて、にぎにぎ!

チヂミにわかめスープ

 

汗かく辛さがやみつきのタッカルビ(≧∇≦)💦

うわぁ〜〜!良い匂いがしてきましたー(≧∇≦)いただきまーす!

 

ワイワイ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

もぐもぐ(๑>◡<๑)(๑・̑◡・̑๑)

もぉ〜〜お腹いっぱい!!もう入らない!!みんな大満足でKorean Kitchenは終了。

 

張さん、ありがとうございました!

 

 

 

受難週の祈り

今日から受難週に入る。主はどのような一週間を過ごされたのか、その足取りを辿り、自らの生き方を顧みたい。水曜日の朝と夜の祈祷会では、最後の晩餐の再現をし、主の十字架の血潮をしっかり心に刻みたいと思うので、皆さんの参加を期待している。主の受難とその後の復活の出来事は、マタイによる福音書21章から最後の28章まで、全体の約30パーセントを用いて記している。いかにこの受難週の出来事が重要であるかが分かる。この一週間の出来事は、凡そ以下のようになる。

日曜日 エルサレム入城  マタイ21:1-11

月曜日 宮清め        マタイ21:12-22

火曜日 教えと論争の日   マタイ21:23-26:5

水曜日 ベタニヤでの香油  マタイ26:6-16

木曜日 最後の晩餐、ゲツセマネの祈り マタイ26:17-75

金曜日 受難日         マタイ27:1-61

土曜日 安息日          マタイ27:62-66

日曜日 復活            マタイ28:1-20

祈り・・憐れみ深い、私たちの天の父なる神様

主イエスキリストの受けられた苦しみを覚え、復活へと続く道を辿る受難週となりました。この日曜日は私たちの主イエス・キリストがエルサレムに入られた日です。ご自分の死に場所、最期の時を知って、なお進んで行かれた主の姿は、どのようなものであったのでしょうか。み言葉によれば、そのみ顔はしっかりとエルサレムに向けられていたとあります。揺るぎはありませんでした。

それに比べて、私たちは弟子たちと同じように、揺れ動く地にあって、恐れや不安にさいなまれ、信仰までも萎縮してしまう弱さを感じています。小さな情報に、大騒ぎをしてしまう愚かな者です。復活の主を信じていながら、あなたにより頼むことができないのです。

そのような私たちを憐み、この受難週を通して、あなたを見上げる者としてください。主の歩まれた十字架の道を辿り、父なる神様のみ心に従う者としてください。主の憐みの中でこの一週間が守られ、復活の日を迎えることができますよう、心からお祈りを致します。主の御名によってお祈りを致します。