Month: 3月 2019

Home / 2019 / 3月

神の恵みに目を注ぐ   教会員

上尾キリスト教会に転入会させていただいて15年、教会では毎2月3月は、「スチュワードシップ月間」として、教会員による週報の巻頭言や礼拝での証しがなされている。私も過去何回か巻頭言や証しを担当することがあり、その都度自分の信仰を点検する機会を持ってきた。

「スチュワードシップ」という横文字の言葉は何となじまない言葉だろうかと考えつつ、テキスト『神の同労者』にある神から与えられている、時間、からだ、賜物、献金等、神のために用いているのか、自己満足の手段としていないか、吟味する時と思ってきた。そして、信仰がマンネリ化しないために必要なことと思ってきた。

今回、テキストにある「スチュワードシップはクリスチャンにとって神の恵みに目を注ぐことから始まる、喜びに満ちた人生への招きなのです。」との文章が目に留まった。神の恵みは、単に生かされているとか、守られているとか、日用の糧を与えられているとかだけではなく、神との出会いによって180度人生が変えられることにあるのではないか。神に背を向けてきた罪人たる私が神の独り子イエス・キリストを救い主として受け入れることによって、キリストの十字架と復活を信じることによって、私を取り巻く周囲は変わらなくても、私の心が変えられたこと、今までの罪を悔い改め、神と和解させていただき、心に平安が与えられ、感謝が湧き、喜びの人生を歩むことができること、それが一番肝心なことではないかと示された。

「初心忘るべからず」という言葉もあるが、救いの原点に目を注ぐこと、それが神の恵みに目を注ぐことではないだろうか。信仰の出発点を忘れて、スチュワードシップの働きにいくら励んでも、義務感とか責任感とかから、やがて疲れが出てくるのではないだろうか。

私自身信仰生活は33年になる。疲れを覚えた時もある。改めて神の恵みに目を注ぐことから日々の歩みを確かなものにしていきたいと思う。何よりも自分の存在も他の人の存在も神にあって喜ぶ人生でありたい。神を喜ぶことこそ、あらゆる力の源である。

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」イザヤ書40章31節

Amazing grace!

3月24日

今日の礼拝は、同じバプテスト連盟の百合ヶ丘キリスト教会から、音楽伝道師の伊藤真知子先生をお迎えして行われました。

牧師として立てられた伊藤先生は、その日々の中で苦悩の末 一度はもう牧師を辞すると決心されました。そして一信徒として心から喜んで教会生活を送っていた矢先、全く予期せぬステージⅣの癌が見つかりました。

 

「なぜ?どうして?」

 

混乱し、嘆き苦しむ先生は、受け入れ難い現実にもがきながら、それでも神様に導かれていくご自分を見つめ続けてついに、これからの命をもう一度神様のご用のために、先生の賜物を持って、音楽伝道師として捧げる決心をされました。

先生が賛美された曲の一つ、「Amazing grace」はさらに深く、聴く私たちの心を揺さぶります。

Amazing grace! how sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

いかなる恵ぞ かかる身をも
妙なる救いに 入れたもうとは

 

伊藤先生の賛美とメッセージが、全国のたくさんの教会で用いられますように。そして、先生のお身体がどうかどうか守られますように。

 

講壇のお花は春を告げていましたよ。

 

 

 

Let’s think!(レッツ シンク!) 教会員

このタイトルを見て「あ!」と思ったあなたは、ドラマ「3年A組 今から皆さんは、人質です」をご覧になっていたのではないでしょうか。かくいう私もどっぷりとハマった一人です。SNSの閲覧数や情報に振り回されて、自分で思考し行動を選び取る力が顕著に低下している生徒達に、一人の生徒の死を通して主人公の高校教師がまさに命がけで訴えかけていくという内容でした。ドラマですから、現実にはあり得ないような場面も山ほどありましたが、節々に教師が口にする「レッツ シンク!」がキーワードでした。

「レッツ シンク!」=「考えて!」

これは何も子どもに対してだけではなく、大人にとっても重要なキーワードではないでしょうか。

このスチュワードシップ月間に上尾教会は、神様から託されている恵みにどう応えていくのか、沢山の方のお話(証)やこの巻頭言から示される2ヶ月を過ごしてきました。その内容は、心がホッと温かくなったり、あらためて再確認したり、刺激を受けたりと、実にバラエティに富んでおりました。証や巻頭言を書かれた方は、神様から託されているものについてすごく考えながら、その言葉を紡ぎ出したと思います。それを見聞きした人も自分に振り返っていろいろ考えたと思います。そしてそれぞれに受け取った「神様の恵みに私はどう応答していくか」を胸に日々を過ごし、また次の年のスチュワードシップ月間を迎えるのです。

というわけで、毎年巡ってくるスチュワードシップ月間は、その度に考えることを繰り返し「私」という人間が成長しながら、まるでソフトクリームのように回り巡って最後にはヒュッと天に向かって伸び、天国で神様に「我が子よ、よくやったね」と迎え入れて頂くことを願うのです。

ところが…。神様の恵みは心地良いものばかりではないこともあるのです。神様は恵みをより確かなものにする為に大きな試練を与えることがあります。しかしそんな時、傷みに涙する傍らに同じように涙しながら伴ってくださる神様がいます。「この試練の中にある恵みは何だろう」と、やっぱり考えながらその恵みの種を確かに受け取り、実を熟させ神様に応答していきたいと思うのです。Let’s think!

同労者となるために    教会員 

今年も皆さまと共にスチュワードシップ月間を過ごしています。毎年この時期に読む『神の同労者』という本には、1)スチュワードシップとは:神こそがすべてのものの支配者であり所有者であることを認め、神が与えてくださった管理者の働きに忠実であろうとすること。2)スチュワードの務めとは:イエス・キリストが先に立って示された「救いの計画」に参与すること。と書いてあります。またスチュワードシップは「神の同労者として生きる、ということでもあり、神から託された時間、からだ、能力、富などを神の愛を証しするために用いるのです。」ともありました。

私たちの持っている、時間、お金、健康状態、才能、経験のすべては神様から頂いたものです。まだ神様を知らない人に神様のことを伝えるため、そしてその人が永遠の命を受け取るためにそれらを使うようにと神様は願っています。そのように神様から頂いたものを使うことがスチュワードシップだと頭ではわかっているのですが、でもそれは時に本当に難しいこと。私の行いを見て、周りの人が「イエス様を信じることはステキ、自分も信じてみたい」と思ってくれたらどんなにいいかと思いますが、欠陥の多い罪人の私は、そのような行動を取りたいのに取ることができません。

そんな私に主はこう言われました。「願い求めないから得られないのです。」 ヤコブ4:2。「人にはそれはできないが、神にはなんでもできないことはない。」マタイ19:26…呆気にとられました。確かに神様に願い求める前に、もっと頑張らなきゃと思っていました。ポイントは”私がどんな人間か”ではなく、”神様はどんなお方か“ということ。そのポイントを外さないために、ある人が効果的だよと教えてくれた方法があります。ノートに書くことです。右側に私の願い求めを書き、左側にそれに対して神様から示されたことを書きます。例えば、〇〇さんにもっと仕事をちゃんとやってほしいと伝えるべきか迷って神様にどうしたらよいか尋ねたことがあります。それに対する神様の答えは、「唇を守る者はその命を守る。唇を大きく開く者には滅びが来る。」箴言13:3でした。「はい、黙っています」と神様に言いました。そのことを日付を添えてノートに書いておきます。書いていくと分かりますが、神様は聖書の言葉や友人の言葉を通して、またただ黙って神を思う時にポンと答えてくださるなど色々です。ノートに書くことで神様がどんなお方かが分かります。主が共にいてくださることがわかります。善き同労者になる近道です。

主の山に備えあり       教会員

「あなたの賜物はなんですか。」と聞かれたら何と答えますか?才能と賜物は違います。が、人よりも秀でて出来ること、という思い込みから抜け出せず、私は答えることができませんでした。それは、神様に「私は何もいただいていません」と文句を言っているようなものです。

時々、アンケート等で「特技・趣味」の記入欄があります。私には非常に厄介な難問で、仕方なく「読書」と書きます。でも、人の役に立つものでもないし、自分の楽しみとだけ思っていました。

本は子供の頃から好きでした。遊びと読書のどちらも捨てがたく、時間確保のため下校時に歩き読みをしたこともあります。転校続きだったので、それぞれの図書室や図書館は、顔馴染みの本が待つ落ち着ける空間でした。親になり、子供たちが小学生のころ読み聞かせボランティアを続けられたのは、本に親しむ楽しさを経験したことによります。神様からの大きなプレゼントです。

今、私は教会学校のリーダーをしています。毎週末に、分級での静聴と分かち合いのために、祈りながら準備をします。絵など図工的なことが苦手で、そのジャンルの準備となると、どこから手を付けていいか分かりません。ところが聖書や資料を取り出し、読み始めることは苦にならないので、(理解力・読解力はさておいて)疲れていても始められます。内容がなかなか頭に入らず、寝落ちする時もありますが、クラスのメンバーに祈られて、準備が守られています。自分の努力やがんばりではないものに支えられた歩みです。賜物とは、神様の働きに参与させていただくために与えられた力や備えだと、改めて思わされました。人と比べてしまったら小さく平凡なことですが、大きな恵みです。しっかり受け取って、用いられるように祈ります。

もちろん葛藤や、信仰の戦いを伴うスチュワードシップも多くあります。自分の弱さに目がいき、ためらうことがあります。けれども、主の備えと恵みに気付く時に励ましを受け、感謝で満たされます。そこから力をいただいて、また次の「神様からの恵みへの応答」を始めていきたいと思います。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネによる福音書15:5