Day: 2019年2月3日

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上尾教会のクリスマス⑤クリスマス礼拝~クリスマスランチ~キッズクリスマス てんこ盛り!

12月23日  (日)10時30分~

クリスマス礼拝

いよいよクリスマスに一番近い日曜礼拝。クリスマスの1ヶ月前から毎週1本ずつ火をつけ増やしてきたアドベントクランツには、ようやく4本全部のロウソクに火が灯りました。

  

このロウソク点火は、毎年ちびっ子たちの大切なお役目です(^^)    パパやママに助けてもらいながらやっていたことが、だんだんと一人でできるようになっていく様は、見守る大人たちも「大きくなったねぇ❤️」と嬉しいひと時(*^^*)

この日、先日の0〜3歳のクリスマス会に参加してくださった一組の親子さんがいらしてくださいました!

 

さてさて、クリスマス礼拝からの〜

クリスマスランチ❣️

上尾教会は、クリスマスやイースターなど、特別な日はこうしてみんなで持ち寄って一緒にお食事をします。腕によりをかけた数々のご馳走 は、いつもとっても楽しみ !しかも美味しい!!

おかわり自由👍   お腹がいっぱいになっても目が欲しがって困ります💦

 

女子会❤️

 

負けじと男子会💙

皆さん、とってもステキな笑顔です(*≧∀≦*)!

 

聖書にもイエス様がみんなと一緒に食事をする場面がちょいちょい出てきますから、みんなでワイワイご飯を食べるって、実はすっごく大切なことなのかも✨💕✨

あー美味しかった!ご馳走さまー!

 

お次は、クリスマスランチからの〜

キッズクリスマス❣️

神様は全て人に「わたしの子よ」と呼びかけて下さいますから、キッズクリスマスは全年齢層対象です(^^)👍

老いも若きもみんなおいでー!

 

 

歌あり、クイズあり、クリスマス子ども劇あり…

しかしクライマックスは何と言っても‼︎

 

サンタさ〜ん(≧∇≦)‼︎✨✨

ちびっ子たちの質問攻めにタジタジのサンタさん(^^;)   でも、これも毎年恒例の光景。果たして今年はどんな質問が飛び出すか、けっこう楽しみでもあります。

一人一人、プレゼントをもらって  サンタさんは次のお友だちのところへ。

またね~!

 

 

楽しかった23日はこれでおしまい。

明日、12月24日は夕方4時30分から キャンドルサービスです。

 

 

 

喜びと平安と信頼      教会員

スチュワードシップ月間に入りました。「イエスこそ私の主です」また「私は主のしもべです」と告白します。それは、主人であるイエス・キリストに忠実であろうとすることを意味します。私たちクリスチャンは、誰でも神の良きしもべとして生きたいという思いを持っています。この思いこそ、クリスチャンのスチュワードシップです。

私たちはともすると、スチュワードシップという言葉を聞いた時、何かしなければならない、何か献げなければならない、といった思いを持ってしまいます。神のために何かすること、それがスチュワードシップであると考えてしまうのです。しかし、忘れてはならないことは、主が先立ってスチュワードシップを示されたことです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」Ⅰヨハネ4:10。神が私たちを愛し、私たちに仕えてくださいました。私たちが献げるより先に主イエスは私たちの救いのために、全てを献げてくださったのです。私たちは、十字架に上げられた人、苦しみ、悩みながらも「十分の十」を献げたお方、神の救いの計画の完成のためにご自身を献げた、神の完全なるスチュワード、イエス・キリストを「私の主です」と告白します。そして、クリスチャンは、この主のスチュワードシップに倣うのです。

「わたしが彼らのうちに住むために、彼らをエジプトの国から導き出した彼らの神、主であることを彼らは知るであろう。」出エジプト記29:46(口語訳)。ここを榎本保郎先生の『一日一章』によると、「私たちは内に住みたもうキリストという見解に同意するが、私たちの大部分は、ほとんどの時間、それに同意しないかのごとく行動する。私たちは、キリストが私たちの中にいまし、意志し、行為しておられると事実を見失ってしまった。その結果私たちは、神の子たちに正当に属するあの喜びと信頼と自発性を持っていない。当然の結果として、私たちの道は平らかなでなく、困難を伴っている。・・・では一体なぜあなたの中にキリストは生きておられないのだろうか。それはあなたが、エジプト(古い自分)から導き出したもう神に従って、出エジプトしていないからである。古い自分から出ることなしに内住の主を迎えることはできないのである。捨てることをおろそかにして求めることは愚かである。」

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」へブル12:2(口語訳)とあるように、ただ十字架の主を仰ぎ、与えられた信仰を固く持って、御許に行く日まで、共に走り抜こうではありませんか。