Month: 1月 2019

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上尾教会のクリスマス④〜お葬式〜

12月19日(水)

上尾キリスト教会はメンバーのMさんを天国へ送りました。

長い間 入院生活を余儀なくされて、やっとやっと、大好きな教会に来ることのできたMさんのお葬儀は、牧師先生の計らいでクリスマス礼拝さながらでした。クリスマスを待ち望むしるしのロウソクに火を灯し、「きよしこの夜」を賛美しました。🕯🕯

教会のお葬儀はお花がとても綺麗なのが印象的です。

まるでお花畑のような会堂の真ん中で、Mさんがニコニコ嬉しそうに教会のみんなと賛美歌を歌っているようでした。

 

淋しいけれど、

「また天国で会いましょうね」

これが私たちの合言葉です(*´꒳`*)

 

 

上尾教会のクリスマス③〜キャロリング〜

12月16日(日) キャロリング🎄🎵

クリスマスを一週間後に控えた日曜日の午後、上尾教会の有志でクリスマスの賛美をプレゼントするため、メンバーのTさんのお家と、Eさんが一時入所している施設を訪問しました。

 

初めてお会いする皆さんを前に、ちょっと緊張気味の私たちをニコニコ笑顔で迎えてくださる方、「きよしこの夜」を一緒に歌ってくださる方のパワーをいただいて、励まされて、精一杯賛美しました(^^)/ ♪♪

 

クリスマスのお話の紙芝居。

 

子ども達から小さなクリスマスカードのプレゼント🎄❣️

  

「はい!どうぞ(o^^o)」

最初は、おっかなびっくりだったちびっ子達も、「ありがとう(*´︶`*)」と応えてもらうことが嬉しくて、集まってくださった皆さん全員にカードをお届けすることができました💌

 

心いっぱい賛美して、帰るときには賛美歌のプレゼントを持ってきたはずの私たちの方が、ホカホカの暖かな気持ちになりました。

 

また来年もできるかなぁ(*^o^*)

できたら いいな❤️

 

 

上尾教会のクリスマス ① 0〜3歳のクリスマス会

2018年、上尾キリスト教会の12月はクリスマスに始まりクリスマスに終わる祝福いーっぱいの1ヶ月でした✨🎄✨

 

11月30日(金)10:30〜12:00

「0〜3歳のクリスマス会」

教会中 様々なクリスマスの飾り付けがされました。玄関ロビーでは大きなクリスマスツリーがお出迎え🎄

ここはフォトスポットとしても👍   いわゆる💕インスタ映え💕ってヤツです(*≧∀≦*)

 

  

15組の0〜3歳のお子さんとママ達がご参加下さいました!

クリスマスの賛美歌を歌ったり、紙芝居を観たり🎵   今年はなんと、ご参加くださったママの中に助産師さんがいらしてベビーマッサージを教えてくださいました!ゆったりとしたオルゴールが流れる中、ベビーとママのとってもステキな時間でした。

もちろん、脱走する子もいましたけどね(^_−)−☆

 

その後は、みんなで「おやつバスケット」の工作です✂️

好きな色のバスケットに思い思いの飾り付けをします。

  

早速 出来上がったバスケットにおやつを入れておやつタイム〜❣️

ママは特製シフォンケーキのお茶タイム〜❣️

その間、ベビーはスタッフが大事に大事にお預かりしました(*´꒳`*)

 

この0〜3歳のクリスマス会は年に一回のイベントですが、2019年のクリスマスも 一つ大きくなったみんなに会いたいです(*^o^*)

4歳になったお友だちは、ぜひ「キッズクリスマス」へ!

 

 

信仰は、神からの贈り物

私は教会に来ている方に、「イエス様を信じて、クリスチャンになってみませんか。」とお勧めすることがある。「はい、イエス様を信じて、クリスチャンになりたいです。」と応答してくださると嬉しいのだが、中には、「自分はまだまだ信仰は足りません。善い行いも出来ていません。聖書も深く知りません。」と、遠慮される方もおられる。しかし、信仰は自分の力で生み出すものではない。信仰は、神からの贈り物である。また、善い行いができないからこそ、罪を赦してくださるイエス様を信じ、聖書を深く知らないからこそ、イエス様を信じることによって、聖書を深く知ることが出来るのである。

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」エフェソ2:8-9。人が救われるのは、神の「恵み」によるものであり、イエス様を信じる「信仰」によることであり、神からの「賜物」であり、「行いによるのではない」。自分の信仰が足りているとか、足りていないかということではない。

「イエス様を信じるだけで人は救われるのですか。私にはどうも納得がいきません。」という質問を頂くことがある。もしあなたの誕生日か何かの記念日に、親しい方から素晴らしいプレゼントが贈られたら、あなたはどうするか。多分嬉しそうに笑みを浮かべて、「有難うございます!」と言って、そのプレゼントを喜んで受け取るのではないか。

もし、あなたが「それはとても高価なものですから、今お金を払いますから、ちょっと待ってください。」と言ってお金を払おうとしたら、相手の人には大変失礼になり、その人はとても不愉快な気分を味わうに違いない。あなたにプレゼントした贈り主は、それを素直に感謝して受け取ってくれたら、それが一番嬉しいのではないか。贈り物は、何の代価も払わないで頂くからこそ、それは贈り物であり、プレゼントなのである。

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」ローマ6:23。聖書が教える救いは、対人関係の悩みとか、苦しみ、貧しさ、病気の苦しみ、不安と孤独感などからの救いというだけではなく、罪と死後の神の永遠の刑罰からの救いである。そして、「信仰」によって、罪の赦しも永遠の命も頂くことができる。「恵みによる救い」を頂くために、私たちがすべきことは、ただ素直に感謝して受け取ることである。受け取った時に、神の贈り物の恵みを深く味わい知ることができる。信仰は、神からの贈り物である。

 

上尾教会のクリスマス ② 〜泉の会とクリスマス〜

泉の会 とクリスマス

12月17日(月) 10:30〜12:00

 

0〜3歳のクリスマス会の次は、ここ 小泉地区でコーラスの活動をしていらっしゃる「泉の会」の皆さんと“クリスマスの賛美歌を歌おう”の会を開催しました🎵

 

皆さんよくご存知の「きよしこの夜」から、ちょっと頑張って「さやかに星はきらめき」まで、初めて聴く賛美歌もたくさん歌いました。

イエス・キリストがクリスマスにお生まれになったのは神様が人々を罪から救うため、私たち一人一人を愛するため。そんなクリスマスメッセージにのせて、「君は愛されるため」という新しい賛美歌の手話賛美にも挑戦しました。

 

クリスマスの賛美歌ってどれも素敵で、いーっぱいあるのに、12月の全部の日曜日とイブ礼拝を入れてもなかなか歌いきれなくて、教会でも四苦八苦してます。なので、こうして礼拝ではない日にもいろんな方とクリスマスの賛美歌が歌えるのはとっても嬉しいひとときでした(*≧∀≦*)🎵💕💕

 

 

主の愛に生きる教会

今年度の主題は、昨年度に続いて「主の愛に生きる教会」とした。主の愛に生きる教会として、深く掘り下げて歩んでいきたいとの願いからである。その指針として、

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカによる福音書10章27節という聖句を掲げ、毎週の礼拝の「招きの言葉」として唱えてきた。この御言葉は、お題目のように唱えることに意味があるのではない。唱えながら、どのように実践するかが問われている。

愛するとは、どういうことであろうか。私はアレキサンダー・マクラーレン牧師の言葉を思い出す。「愛するとは、愛する人が望むことをわが望みとして行動し、その望みが叶えられた時に、共に喜ぶことである。」 上尾教会では今、多くの方が「友愛チーム」の一員となって、送迎のために奉仕してくださっている。そのお陰で、集会に参加できる方の何と多いことか。その喜ぶ姿を見て、奉仕する者も嬉しくなるのではないか。愛する人が何を必要としているのかをキャッチして、自分にできることを行っていく、そして、喜んでいる姿を見て、主に感謝を捧げていく、これが愛するということではないか。病床に見舞いに行く、施設や家庭を訪ねる、そして、祈りを合わせる・・これらの事が、教会に来たくても来れない方にとっては、大きな慰めになるだろう。

パウロも「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」ローマ12:15と語る。「共に喜び、共に泣く」とは、共感することである。それは、同じ思いを抱く、同じように感じるということだけではなく、その人にとっての辛いことや本当に克服したいこと、求めていることを共に求めていくという思いで関わることでもある。それだけに、自分も傷ついたり、悲嘆にくれたり、何の力にもなれないという無力感を感じることがあるかもしれない。しかし、この共感こそ、主の愛に生きる教会を生み出すのである。

私たちは、人間の力では人を愛することはできない。愛する人の願いよりも、自分の願いを優先し、相手を悲しませてしまうことが何と多いことか。自己愛に翻弄される私たちは、神から愛(慰め)をいただかない限り、人を愛する(慰める)ことはできない。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただく慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」Ⅱコリント1:4「神からいただく慰め」とは、主の十字架の赦しに与ることである。「こんな罪深い私さえ、主は十字架にかかって愛してくださった」と気づく時、愛する者に変えられるのである。

地域に開かれた教会

今年の秋には、会堂が建って20周年を迎える。月日が経つのは早いものである。どのような思いで会堂を建てたのか、献堂式で唱和した『上尾キリスト教会が求めてきた教会像』を今一度振り返り、会堂が十分に用いられてきたことを感謝すると共に、これから取り組む必要のあることを、この一年の歩みの中で見い出していきたい。

この新会堂は神の臨在と栄光が現される場所です。生ける神と私たちが出会う礼拝の場所を中心として、各部屋を配置しました。礼拝堂は、「霊と真理をもって」(ヨハネ4:24)礼拝がささげられ、心の安らぎが得られるよう、天井を天井を高く取り、暖かさと落ち着いた宗教雰囲気をかもしだせるようにしました。また、子どもと大人が一緒に礼拝をささげ、「詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえ」(コロサイ3:16)ることができるよう、音響に配慮し、スクリーンを備え付け、一体感のあるものにしました。さらに礼拝堂は、分級、地方連合の諸集会、音楽会、講演会、結婚式、葬儀、など多目的にも使えるよう、個人椅子とし、サイドルームを開くと、最大で150名収容できるようにしました。

私たちはの教会の第一の使命は、地域に開かれた教会として、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることです。最も人目に付きやすく、四方から教会の存在がわかるよう交差点の角にシンボルの十字架の塔を配置しました。また、だれでも入りやすいように玄関は開放的で明るいものにし、ロビーもゆったりと接待できるものにしました。障がい者や高齢者の方が安心して集っていただけるよう、スロープ、手すり、自動ドア、身障者用トイレなどバリア・フリーを目指しました。平日も地域に開かれた教会として宣教の使命を果たしていくため、新来会者にすぐに対応できるよう、事務室を入り口に配慮し、また、カウンセリング、牧会の働きをするために牧師室を隣に配置して、気兼ねなく訪ねていただけるようにしました。社会のさまざまな問題解決のために門戸を開き、共に福音にあずかることができるよう、積極的に取り組んでいきたいと願っています。(一部省略)

「地域に開かれた教会」として、礼拝堂は、礼拝だけではなく、地域のさまざまな催し(三井住宅の会合、コーラスの練習、埼玉アシュラム、朝祷会)のためにも利用され、多くの方が出入りするようになった。集会の案内を差し上げると、敷居が低くなったこともあってか、よく来てくださるようになった。会堂が年々用いられていることは感謝である。会堂以上に、人と人との繋がりが「地域に開かれた教会」をつくり出している。地域の方々との繋がりがさらに深まれば、福音は受け入れられていくだろう。