Month: 9月 2018

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真の「終活」とは何か

「葬儀の事前準備なんて、縁起でもない!」は、一昔前の話。最近では「終活」が大流行である。人生の最期、誰にでも訪れる死に備えるもので、遺産や身の回りのことを整理したり、葬儀やお墓のことを決めたりと、自分の希望を元気な時に周りの人に伝えておくことは大切なことである。しかし、ただ葬儀の準備ができたから、お墓を建てたから、それで死に対する備えができたかと言うと、そうではない。

真の「終活」とは、死んだ後、いったい人間はどうなるのかを知って備えることである。多くの人がこの答えを知ることなく、死んでいく。聖書には、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。」ヘブライ9:27と記されている。前半の「一度死ぬこと」は誰でも受け入れるが、後半の「その後に裁きを受けることが定まっている」は、殆どの人は受け入れてはいない。私たちは死後、神の前に立ち、神の審判を受けなければならない。ですから、「お前は自分の神と出会う備えをせよ。」アモス4:12と警告している。私たちは神の法廷で、被告人として神の前で裁かれるが、その時、私には罪がないとは言えず、自分の力で自分の罪の清算をすることはできない。誰もが、永遠の滅びを宣告されたとしても不思議ではない。

それではどうしたら、私たちの罪は清算されるのか。聖書はこの問いに対して喜ばしい知らせを伝えている。それは、私たちに代わって罪の清算をしてくださった方がおられる。その方こそ、主イエス・キリストである。主は、私たちの罪を負って十字架にかかり、身代わりとして神の裁きを一身に受け、三日目に墓を打ち破って復活してくださった。この主イエス・キリストを、救い主と信じるだけで、すべての罪は赦され、死後、神の法廷で永遠の救いに与ることができるのである。

死は、恐れを生み出す。また愛する者が亡くなった時、残された者に大きな悲しみや癒しがたい喪失感を生み出す。しかし、イエス・キリストを信じる者にとっては、死は地上の生涯を終えて天国に至る通過点にすぎない。死を通して、もっとすばらしい世界が開かれている。パスカルは、「私たちの死に対する不安は、自分たちの死を他人の死と比べるところから始まる。しかし、イエス・キリストの死を思い起こす時、死の不安は消え、新しい希望が与えられるのである。」と語っている。キリストの死によって、死は勝利に飲み込まれた。主の御許に召された信仰の先達者に倣って、死を超えた復活の希望を持つことが、地上の生涯を勇敢に生き抜く秘訣である。

連合50年の歩みの恵み

来月の「北関東地方連合結成50周年大会」のために、「大会しおり」「連合50年の恵み」を編集することになり、そのために、武章子さんと冨岡真奈さんにも尽力いただいて、あとは仕上がりを待つだけとなった。編集を通して、改めて連合の協力伝道の豊かさ、素晴らしさを実感した。

連合では、「伝道」「教会教育」「教会音楽」「女性会」「壮年会」「青年会」「少年少女会」「小羊会」「牧師会」「牧師配偶者会」「社会委員会」「災害対策委員会」などが活動し、様々な集会を開いてきた。その集会に参加することによって、私たちの信仰がどれほど育てられ、私たちの教会がどれほど豊かにされてきたことだろううか。もし、連合の働きがなければ、教会は孤立し、外に出かけて行くこともなかったであろう。

「バプテストは・・各個教会の限界や弱さを自覚し、連帯の必要性を知っていました。ですから、ごく早い段階から彼らは互いに連帯し、励まし合う交わり(連合)を形成しています。・・各個教会だけでは担いきれない課題を、互いに切磋琢磨し、励まし合いながら共に担い、キリストの宣教命令に応えようと考えたのでした。」『いま、バプテストを生きる』P13

今日、少子高齢化が進み、教勢は年々下がる中、「教会復興」「開拓伝道」「親子伝道」「人材養成」「青少年伝道」「高齢者伝道」「教会の国際化」は、一教会だけでは「担いきれない課題」である。「連合結成50周年大会」では、これらの課題について分かち合い、今の時代にふさわしい協力伝道とはどのようなものなのか、従来の発想や考え、方法に捉われないで、自由に語り合い、知恵を出し合いたいと願っている。そこから、何か新しいものが生み出されることを期待している。

丁度、9月に相互訪問で新潟主の港教会を訪ねた時、教会音楽研修会を武章子さんが担当して、大変喜ばれた。いつも新潟から教会音楽研修会には、1名送り出せるのがやっとであると伺っていたので、奏楽者のレッスンも兼ねて行った教会音楽研修会には3名の方が参加してくださった。私たちの教会もかつて常盤台教会から毎年女性クワイア(コーア・グナーデ、ホゥリイ・マナ)が奉仕してくださり、教会音楽を育んでくださった。それによって、上尾教会の今がある。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」Ⅰコリント15:10。協力伝道によって、神の恵みに与ったのですから、その恵みを独り占めにしてはいけない。得たものは、分かち合いたい。

敬老祝福式

9月16日   💕 敬老祝福式💐💕

 

上尾教会では、80歳以上の皆さんのこれまでの歩みを感謝し、そしてこれからもお元気で神様と共に齢を重ねられますよう、お祈りと賛美で祝福式を行いました😊

教会の子ども達から、お花のプレゼント🌹

 

お礼にと、お得意のハーモニカを演奏してくださいました

『里の秋』

どこからともなく歌声が重なり、懐かしく心に沁みるハーモニカの音色に会堂はほっこりムード(*´꒳`*)❤️

 

♫歌いつつ歩まん  ハレルヤ ハレルヤ

歌いつつ歩まん  この世の旅路を♫

どうかどうかお元気で、来年もまたこの素敵な笑顔をよろしくお願いいたしますね(^_-)-☆

 

恒例の記念写真で、はい!ポーズ💝

 

 

実りある伝道懇談会にするには

本日、伝道懇談会を迎えた。私たちに託された伝道の使命を果たしていくためにどうしたらよいか、収穫の主に願いつつ、皆さんで語り合い、知恵を出し合いたい。伝道とは「道を伝える」ことである。主の救いの道を伝えることである。主が私の人生にどれほど大きな救い(十字架の赦しと復活の命)を与えてくださったか、喜びをもって伝えることである。しかし、伝道という言葉は今日の教会ではあまり使われなくなった。かつては2~3日連続で行っていた「伝道集会」も集う人が少なくなり、一日だけの集会になった。それでも伝道は、教会にとって大切な使命である。

「高齢者伝道」・・高齢社会が進む中で、高齢者に対してどのような働きかけが必要か、又、高齢者に協力できることは何か、更に、高齢者としてどのように教会に仕えることができるか等について、それぞれの立場になって話し合ってみたい。三井住宅や第一団地・第二団地は高齢化が最も進み、独り暮らしの方も多い。対話する人を求めたり、病や死の不安を抱えている高齢者も多くおられることだろう。

「親子伝道」・・子どもを主に導くために、子どもに対して、親に対して、どのような働きかけが必要か、話し合ってみたい。親子が一緒に礼拝に出席するために、教会は何ができるか。教会と子育て中の親との話し合いの場は持っているか。子どもたちは周りの大人を見て、自分がどうあるべきかを学ぶ。私たちの信仰姿勢、どんな姿勢で教会生活を送っているか、子どもに見られていることを忘れてはならない。

「青少年伝道」・・現代を生きる青少年は教会に何を求めているのか。そして、教会は青少年に何を求めているのか。私たち教会に青少年の居場所はあるのか。かつて日本の教会は「青年の教会」と言われた。10代、20代の青年が聖書を求め、生きる目的を求めて、教会を訪れ、信仰に導かれた。しかし、今日、様々な問題を抱えて心病む青年が教会を訪ねるケースが多い。主は「御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」マタイ9:35。心病む青年の居場所に教会はなれないか。

「迎える伝道」・・私たちの教会は地の利の良さから、新来者や外国籍の方も礼拝によく来られるが、どんな思いで来られているのだろうか。又、一回だけの方が多いので、継続して頂くために、どのような取り組みが必要なのか。個人的に親しくなると、集いやすくなるものである。「誰々さんがいてくれたから、安心して来れました」という声をよく聞く。親しくなるためには、どのような事に心がけるとよいのか。