Month: 6月 2018

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泉のほとり 〜6月〜

6月の泉のほとりは「終活のおはなし」でした。

6月=梅雨=雨☔☔。。このお約束を裏切ることなく、朝からけっこうな雨でしたが、教会近隣の方々も足を運んでくださり、約30名の皆さんでお話を聴くことができました。

 

 

本日の資料と講師の松崎氏。

   

キリスト教専門葬儀社の方ですが、たくさんのご経験と知識の中から、キリスト教のお葬式にとどまらず、一般的なお葬式、また、地域によるお葬式の違い、お葬式に見る時代の移り変わりなど、知っているようで意外と知らないお葬式事情に一同「ほう〜〜(‘ω’)」

 

「その日」に向けて自分が準備しておくべき、まずは断捨離。自分にとっての思い出の品は、家族にとってはただのゴミ!…一同「ちーん( ̄▽ ̄;)」

 

「その日」、大いなる悲嘆の中で遺族の決め事は容赦なく起こってくる。冷静な判断力は…まず持てない。そんな中、必要以上の葬儀費用にならないために、自分の葬儀はどうしてほしいのか、普段からよく家族と話しておく。一同「…なるほど(˙-˙)」

 

何となくタブー視されがちな「死」についてのお話ですが、考えてみれば誰にももれなくやってくる「その日」。自分の思いや願いを話したり形にしたりする事は、自分のためには勿論、周りの人たちのためにもとても大切な事なのだとあらためて気付かされました。

 

❤泉のほとりのもう一つのお楽しみTea Time☕❤

手作りカステラとコーヒーをいただきながら、質問タイムです。

様々なケースに出会う牧師からの質問や、最近聞く「生前葬」、お墓のお引越しなどが話題に出ました。

 

 

やはり、自分の事として「死」を捉えるのはなかなかハードルの高いものかもしれません。

でも。。。

「その日」にどう備えるかは、言い換えれば 私は「今」をどう生きるか、に繋がるのかな…

そんな風に思えた「終活のおはなし」でした🕊

 

 

さてさて、次回の泉のほとりは…

 

7月11日(水)  午後1時〜

書に親しむ🎐(参加費無料)

 

初夏のひととき、皆さんで静かな和の時間を楽しみましょう〜(^^)/

 

 

 

凱旋の備えをしたい

先週は、終活について学び、その必要性を実感させられることが多かった。死は誰にでも確実にやってくる。全く思いもよらない時にやってくる。しかし、自分の死はまだ先のことだと思い込み、死への備えを怠ったばかりに、周りの人にも迷惑をかけ、全く証にならない、不本意な最期を迎えるということだけはしたくない。

「泉のほとり」では、キリスト教葬儀社「輝」の松崎充彦さんから「凱旋の備え」というテーマでお話を伺った。その中で、天国への凱旋に備え、元気なうちに家族や教会に自分の葬儀に関する希望をしっかりと伝えておくことが、とても大切であることを学んだ。家族が未信者であれば、尚のこと、自分の葬儀は全て教会にお願いしたいと家族に伝えておくことである。又、葬儀に関する希望はもちろんのこと、納骨場所、献金や寄付、献体のことなど、あとで問題にならないようにはっきりと自分の意志を伝えておくことである。特に、財産に関わることは、相続争いが起きやすいので、遺言や後見制度のことを法律の専門家に聞いて、適切に対処すべきである。又、本人は宝物だと思っているものでも、家族にとってはゴミ?としか思えないものもたくさんあるので、断捨離しておくことも、凱旋の備えであると教えられた。

先週、上尾教会の墓地に入ることを希望されたTさんを、私と妻と武章子さんで茨城県結城市のご自宅に訪問した。Tさんは今月に入って重い病であることがわかった時、妹のKさんが納骨されている上尾教会の墓地に一緒に入りたいと願われたのである。その願いを叶えたいと娘さんが上尾教会を探し回って、教会に電話をかけてこられた。Kさんの命日には毎年のように上尾教会の墓地に行っておられるので、墓誌に刻まれた教会員の名前も覚えておられた。私が、「墓地に入る以上に天国に入ってほしい、妹さんともそこで再会できますよ。」と言って、イエス様の言葉である、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」ヨハネ11:25-26とTさんに尋ねと、「信じます」と答えられた。そして、主に全てを委ねて、祈りを捧げた。Tさんは、「上尾教会に伺いたい」と安堵の表情を浮かべて言われた。

もはや老いて病に侵されても、私には何もできないと思ってはならない。私たちには「死ぬ」という大切な仕事が残されている。人生の幕を下ろすまで、主の望みを抱いて、凱旋の備えをしっかりしていくなら、神の栄光を現すことができるであろう。

父の日礼拝

6月17日は「父の日」礼拝でした。

「母の日」に比べてちょっと影の薄い「父の日」ではありますが(^^;) 上尾教会では「母の日」同様、今年も「父の日」礼拝の中で子ども達からの可愛いプレゼントや証の特別プログラムがありました。

 

👔父の日👔💐👔💐👔

1910年アメリカ、ワシントン州のジョン・ブルース・ドット夫人が、妻に先立たれ男手一つで6人の我が子を育てあげた自身の父親を思い、その労苦をねぎらい尊敬する日として、既にあった「母の日」に倣って「父の日」を教会に嘆願。それを受けて1934年頃、6月の第3日曜日と決められてアメリカの年中行事の一つになった。

のだそうです。

 

「父の日」もキリスト教会から生まれたのですね!

知らなかった〜〜f^_^;

 

さてさて、今年のお父さんへのプレゼントは…

色付き貝殻で縁どられた台紙に思い思いに描かれた絵と、聖書に挟むのにぴったりフィットのしおり♡

 

 

単身赴任中のパパに作ったプレゼント、パパの代わりにママがしっかりと2人の愛娘の作品を受け取りました。そして、インドで頑張っているパパに届け!と超恥ずかしがり屋シスターズ渾身の「パパ、ありがと!」

 

続きまして、こちらの愛娘はパパから離れず(^◇^)💦💦

でも、プレゼントと「パパ大好き❤」の心の声は、ちゃーんとパパに届きました。

 

そしてそして‼

二日前にBabyが誕生したばかりの、なりたてホヤホヤのパパです\(*^ω^*)/

 

Babyと なりたてホヤホヤのママはまだ病院ですが、記念すべき初めての「父の日」をちゃっかり教会で先取りしちゃいました!(≧∇≦)

 

そして「わたしの父」と題しての証。

お父様の葬儀式が上尾教会で行われて早や10年。あらためてお父様がバプテスマ(洗礼)を受けた時の信仰告白を読まれ、「イエス・キリストをわたしの救い主と信じる」決心に導かれたその告白は、25年経ってもなお力強く聴く人の心に深く沁みわたりました。

 

 

生まれたばかりの命から、天国に還った命まで、神様の祝福に溢れた「父の日」礼拝でした⛪(*´꒳`*)⛪

 

 

☂本日のお花☂

紫陽花がひときわ存在感を放っておりました。いっぺんに「6月」と「梅雨」を連想させてくれるお花です。桜と同様、期間限定で季節を代表してくれるお花には、何とも惹かれる魅力がありますね(^^)

 

ど根性信仰

教会の花壇は花盛りであるが、「ど根性ペチュニア」が道行く人の目を楽しませている。それは花壇の中に咲いているペチュニアではなく、花壇の下のコンクリートの裂け目から咲いているペチュニアである。前年に咲いたペチュニアの種が、わずかな隙間に落ちて、花を咲かせるのである。わずかな土と水しかないのに、花壇で咲くペチュニアよりも丈夫で長持ちしている姿を見ると、信仰の世界も似ていると思った。

先週のアシュラムで、ヨハネの黙示録を静聴したが、苦難の後に主の恵みがやってくることを学んだ。迫害や殉教という苦難に耐えることによって、信仰が鍛えられ、信仰の豊かな実を結ぶのである。だからパウロは、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」ローマ5:3-5と語った。

苦難それ自体は、決して喜ばしいものではない。誰でも避けて通りたい。生活苦も老苦も病苦も死苦もなければ、どんなに楽だろうかと思うことがある。しかし、それらの苦難がなければ、必死で祈ることも、神により頼むこともせす、自分の好き勝手に生きるのではないか。星野富弘さんが、「わたしはあなたのみおしえを喜んでいます。苦しみにあったことは、わたしにとって、しあわせでした。詩篇119」とボケの花に添えて描いておられたが、苦難がなければ、聖書を手にすることもなかったであろう。

苦しみにあったことは、わたしにとって、しあわせでした。」とは、普通の人ならとても言える言葉ではない。特に、星野さんのように、手足をも動かせず、車いす生活を余儀なくされた人にとって、「苦しみにあったことは、わたしにとって、不幸でした。」と言うことはできても、「しあわせでした」などとは言えないだろう。しかし、その苦難の中で、聖書を手にした時、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。」との主の招きの言葉を、「すでにおれのために、その言葉を用意してくれていたんじゃないかなあ」と思ったそうだ。ここに、「しあわせでした」と言える根拠がある。

「こういう自分でも生きていていいんだな。生きて立派なことをする、いい仕事をする。そういうことが人間にとっていちばん大事なことではなくて、とにかくこの世に生を受けて生き続ける、それを神さまに感謝して生きる、そんことが非常に大事なことなんだ。生きていること自体が、不思議で有り難いことなんだからと思えるようになりました。」この星野さんの言葉に、ど根性信仰に生きることが美しい花を咲かせる人生であると教えられた。

予告〜泉のほとり 6月〜

場所は教会。

講師はキリスト教専門葬儀社の方。

ではありますが、「そこ」にこだわること無く、広〜く終活のことについて伺います。

人に聞くに聞けないことも、何でもご質問なさって下さい。豊富な知識とご経験からいろんなお話が飛び出してくると思います👍

 

6月20日水曜日  午後1時から

あなたのお越しをお待ちしております💐m(_ _)m💐

 

 

世界バプテスト祈祷週間

1873年、ロティー・ムーン宣教師は神様からの召命を受けて単身中国に渡り、農村伝道を始めました。貧しい地域で自分の食べ物さえも惜しまず人々に分け与え、キリストの福音を述べ伝えました。ロティーが休暇も取らず、自分の全てを捧げ、中国伝道に打ち込んでいるのを知った南部バプテストの女性達は、クリスマスに特別献金を行うことを決めました。

 

これが「世界バプテスト祈祷週間」の起こりです。

 

「週間」というのは、11月の最後の日曜日から12月の最初の日曜日までと期間が決まっているからなのですが、上尾教会の女性会は年度始めに決めた目標金額を満たすため、コツコツと!楽しく!おいしく!?献金を貯めていこうと考えたのが、「お惣菜バザー」なのです(^^)

 

さらに実は、もう一つ、「世界バプテスト祈祷週間」のために常設されているものがありまして。。

名付けて「ロティーコーナー」(*^o^*)/

お家にある、新品だけど使わないもの、中古だけどちょっと良いものが持ち寄られ、破格のお値段で置いてあります。時には掘り出し物があったりするので、これもまた楽しみなのです❤

 

そうして「世界バプテスト祈祷週間」に集められた献金は、世界宣教と日本バプテスト連盟の国内外の伝道活動に用いられています🍀

 

お惣菜バザー

上尾教会では、年に2回、女性会が中心となってお惣菜バザーが開かれます。

有志の方々が腕によりをかけて準備をして下さり、その日のお昼ご飯はここで買ったものになるので、いつもの上尾教会特製冷やし中華はお休み❤

※注目〜‼※

上尾教会特製冷やし中華は、上尾教会オリジナル手作りだれの、書いて字のごとく“特製”なのです(*≧∀≦*)

しかも!初めて教会へ来られた方には無料で振舞われるという太っ腹!!

ぜひぜひ ご賞味あれ(^O^)/

 

 

さて、話は戻って今年度 1回目のお惣菜バザーが6月3日(日)に行われました。

所狭しと並んだいろんなお惣菜に「わぁ〜美味しそう💕」「これは何??」と選ぶのもまた楽しいひと時(^.^)

ひとしきり選んだらお会計〜💰

中には夕飯のおかずにも買っていかれる方がいるので、あっという間に…

毎度あり〜♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 

この「お惣菜バザー」は女性会の活動の一環で、売り上げは「世界バプテスト祈祷週間」への献金として献げられます。

「世界」?「祈祷」??

はい!「世界バプテスト祈祷週間」については次回あげおDoingにてお話しいたしますね。

お楽しみに〜〜(*^o^*)

 

 

福音を告げ知らせる

ホテルや病院の一室においてある聖書を目にしたことがあるのではないか。あれは、ギデオン協会から贈られたものである。旅行く人に、病気を患う人に、聖書を生きる糧にしてほしい思いからである。そして、中学校や高校の門の前でも聖書を配布している。ギデオン協会の会員として活動している笹川さんもその一人で、近くの学校に配布しているが、「今の生徒はなかなか聖書を受け取ってくれなかったり、学校も配布することに理解を示さなかったり、配布することも大変です。」と感想を述べていた。

しかし、若者への伝道はいつの時代も大切である。配布された一冊の聖書を手にして、信仰に導かれ、信徒として忠実に仕えている人、又、献身して牧師になった人も多い。信仰に導かれる世代は、10代がもっとも多い。それは、心が柔軟で福音を受け入れやすく、又、何のために生きるのか、真剣に人生について探究する年頃でもある。そして、自分の生涯を主のために用いるだけの時間的な余裕もある。献身者としてよい働きをしている人も、10代、20代で献身に導かれた人が多い。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」コヘレト12:1。老いていくと、「苦しみの日々」が増えていき、「喜びはない」と悲観的になりやすい。しかし、「青春の日々」には、冒険を恐れず、自分が正しいと思うことに進んでいくことができる。主を信じる素早い決断力は若者の特権であり、それは創造主なる神から与えられた賜物である。その賜物を主に感謝し、神と隣人とのために用いることが大切である

若者を教会に迎えるために必要なことは何か。若者に魅力を感じさせる様々な取り組みも必要であるが、それだけでは教会はただ楽しいだけの場所で終わってしまう。上尾教会のホームページを作成してくださった小牧さんが、「若者が教会に求めているのは、音楽でも交流でもなく、福音の神髄です。」と言われたが、本当に必要なことは、主の十字架と復活、罪の赦しと永遠の命、この福音を告げ知らせることである。

私たちも日々の生活の中で、福音の神髄を聖書から伝えているだろうか。それは、やみくもに聖書の御言葉を伝えるということではない。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」Ⅱテモテ4:2。相手の助けとなる御言葉を伝えることである。ギデオン協会の聖書に「おりにかなう助け」として引用されている御言葉を参考にしたいものである。