飼い葉桶こそ、赤ちゃんポスト

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 親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れる国内唯一の施設・熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)は、運用開始から10年となった。構想段階から賛否を巡る論争が続く中で、又、出自を知らずに育つ人権上の課題に直面しつつある中で、幼い125人の命を未来へつないだ。赤ちゃんポストを使用する理由は、望まない子供だった」「子育てできない」「育児ノイローゼになった」「何らかの障害があった」など様々であるが、経済的な理由よりも、親の心の問題の方が大きい。

育児放棄を助長すると懸念される赤ちゃんポストであるが、相次ぐ赤ちゃんの置き去り事件の現状を知ると、その存在の意義を認めずにはおれない。望まない妊娠をして、パートナーと連絡もとれず、親にも打ち明けられず、相談できる人もなく、たった一人で出産し、生まれた子供のへその緒を自ら切ると、立ち上がることすらままならない体で赤ちゃんの捨て場所を探してさ迷う母親にとって、赤ちゃんポストは最後の砦となっているのではないか。残念ながら、すべての赤ちゃんが健やかに育つ良い環境の中で生れてくるのではない。こういう場所が整えられていることは、むしろ悲しい現実を反映したものであるが、ただ病院が決断したように、何より大切なことは、行き場を失った方に救いの手を差し伸べ、命を守ることである。

御子イエスの誕生にも赤ちゃんポストがあった。人口調査のために旅をしたヨセフとマリアは、宿屋に泊ることもできず、馬小屋へと導かれ、生まれた赤ちゃんを飼い葉桶に寝かせた。この飼い葉桶は、2000年後の赤ちゃんポストと言ってもよい。「救いを早く与えてください」との思いをもってナザレからベツレヘムまで旅をしてきたヨセフとマリアの道は、各地から赤ちゃんと一緒に熊本まで来て、「神様、赦してください。救ってください」という思いをもつ母親の道と重なるようにも思える。

飼い葉桶の御子イエスは、赤ちゃんを手離さなくてはならない母親、無責任に育児放棄をしてしまう母親の苦しみや罪を背負ってくださった。そして十字架にかかり、その罪を滅ぼし、赦しと救いを与えてくださった。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」ルカ2:12。飼い葉桶の御子イエスは、「救い主のしるし」である。赤ちゃんポストがキリスト教主義の病院から始まったのは、主イエスは、赤ちゃんも母親も見捨てない、生涯、共に歩んでくださる救い主である、と、気づいてほしいからである。