領収書の祈り

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信仰者にとって、祈りほど大切なものはないが、渡辺和子先生は、「請求書の祈り」ではなく、「領収書の祈り」をしなさいを勧めている。それは、「ください、ください」自分本位に願い求める祈りではなく、神の御心を「確かに頂きました」と受け止める祈りである。主も「祈り求めるものは全て既に得られたと信じなさい。そうすればその通りになる」マルコ11:24と言われた。これは明らかに領収書の祈りである。「病気をいやして下さい。仕事も家庭も祝福して下さい」と、考えてみると私達の祈りは、「請求書の祈り」が大半ではないだろうか。そのような祈りは決して悪いということではない。パウロも「肉体のトゲ(持病)」が取り除かれるように、日ごとに祈った。しかし、病が癒されないことが主の御心であるならば、例え病が癒されなくても、神はもっと素晴らしいものを与えて下さると信じて祈ることが求められているのではないか。

アサヒビールの会長であったクリスチャンの樋口廣太郎さんは、神に祈る時に、「してください」「してください」というお願いの祈りを一度もしたことがなかったそうだ。それは「何事でも神の御心に適うことを私達が願うなら、神は聞き入れて下さる」1ヨハネ5:14との神の約束を確信して、ただ感謝の祈りを捧げたとのこと。彼がアサヒビールに来た時、市場でのシェアは一ケタで、会社は潰れる寸前であったが、その時既に、「神様、シェアが一番になりました。これで従業員もその家族も喜び、またそれを飲んでくれる人も喜んでくれます。有難うございました」「領収書の祈り」をし続けたという。

なかなかできることではないかもしれない。しかし、願い事が適う前に、得たりと信じて、感謝の祈りを捧げていくと、きっと違った景色が見えてくるのではないか。不安や悩みの中にあっても喜びと希望が湧いてくるだろう。「領収書の祈り」をするためには、御言葉を聴くことである。御言葉を聴くことと祈りとが一つになっていることが大切である。なぜなら、御言葉を聴かずに祈ると、ともすれば祈りが自分本位になり、自分の考えや価値観に立って願うばかりの祈りになりやすい。自分の願いを祈るのもいい。けれども、まず御言葉を聴いて、「私が」という願いを脇へ置いて、「神様が」自分に何を求めておられるかを受け止めて祈ることが大切である。それによって、自分の願いも「これは神の御心にそぐわない」ということに気づかされ、祈りが修正されていく。そこに「神様の御心に従うことができますように」という祈りが生まれて来る。御言葉を聴き、御心を受け取り、「領収書の祈り」に変えていきたい。