語らずにはいられない

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バプテスト教会の特徴は、信徒説教者が活躍してきたことである。バプテストの説教者は「樽説教者」と呼ばれて揶揄された。なぜなら、平日は樽や桶を作る職人、靴屋や鍛冶屋をしていて、日曜になると講壇で説教する信徒説教者だったからである。ジョン・バンヤンも「樽説教者」であった。17世紀英国で、貧しい鋳掛屋の子として生まれ、教育は僅かしか受けなかったが、25歳の時、バプテスト教会で受浸し、執事となって伝道を始めた。聖書を読んでいく内に、神から福音を語るように導かれた。そして、街角で、家庭で、集会で、福音を語り始めた。当時の国教会は信徒説教を禁じていたので、彼は捕らえられた。それでも彼は伝道を止めなかったために、12年間に亘って投獄された。その投獄中に、あの名著『天路歴程』を書くのである。それはバンヤンが福音を語ることを、神からの直接的な導きとして受け止めたからである。その故、迫害の中でも堂々と神の言葉を語り続けた。福音を語ることは国家や政府、教会の許可によるのではない。神が導いておられるから語らずにはいられないのである。

エレミヤも、神の言葉を自分は語らずにはいられないと告白している。「主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。」エレミヤ20: 9。エレミヤは周囲から相当な嘲りを受けていた。それは、不法なものであり、暴力を伴った。彼はあまりの苦痛に、もう主の言葉を語るのをやめようと思った。しかし、沈黙を保っていると、彼の心や骨から、メッセージが燃え上がった。押さえつけておくことはもはや不可能だった。主の救いに与った私たちにも、語らずにはいられないメッセージがあるのではないだろうか。

「信徒のための説教学」を一緒に学んだ鈴木宗一兄に、先週大宮駅西口のコンコースで夕方、路傍伝道する導きが主から与えられた。同伴してみると、幸子姉が連盟の「憲法改悪反対」の幟を持った前で、宗一兄が今の政治情勢の中で平和憲法が踏みにじられていることを、聖書の言葉を引用しながら、道行く人々に切々と訴えていた。その姿に感銘を受けた。平和憲法の大切さと福音の素晴らしさを訴えることは、決して無駄ではない。むしろ、この訴えこそ、主の救いに与った者の特権ではないだろうか。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民は大勢いるからだ。」使徒言行録18:9