神様からの預かりもの         冨岡 真奈

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「スチュワードシップ」とインターネットで検索すると、他人から預かった資産を、責任をもって管理運用すること。とありました。あくまでも、自分の資産ではなく、他人の資産を管理するのです。ともすると、「時間、お金、能力」というものは、「自分のものである」と錯覚しがちです。自分で稼いだものだから、自分で努力したものだから、すべては私のものである。そう思うのが自然な考えなのだと思います。しかし、私たちクリスチャンはその考えを根底から覆される教えを受けます。すべては神様から預かっているもので、そもそもあなたのものではない。というのです。

今年度、上尾教会では小さな子どもたちに開かれた教会となるため、様々な行事を企画しました。「ファミリーコンサート」、「子供祝福式でのザアカイ劇」、「プレクリスマス」、「キッズクリスマス」など。どれも準備は大変でしたが、たくさんの子どもたちを教会に招くことができ、本当に感謝でした。

私はつくづく、教会って不思議な集まりだなあと感じました。血のつながりはないけれど、本当の親戚よりも頻繁に会う。育ってきた環境もバラバラ。年齢も性別も全然違う。にも関わらず、信仰により一つとなる。イベントを企画するにあたり、私は教会の皆さんが神様から与えられている賜物のすごさにビックリしました。美術や音楽に長けている方々、お話し上手な方々、お料理上手な方々、演出の上手な方々、時間を惜しみなくささげ、チラシを配布してくださった方々、掃除上手な方々、小さい子どもの面倒をみるのが得意な方々、そして、生きざまを通して主を大胆に証してくださる方々。まさに教会は宝箱だと思いました。皆さんの賜物を持ち寄れば、上尾教会はいろんな方法で伝道していくことができると思いました。

正直、20代の頃は、「伝道なんて面倒くさい。やりたい人がやればいい」そう思っていました。でも今は、「神様から与えられたせっかくの賜物を用いない人生ほど、もったいない人生はない」と思っています。そう思えるようになったのは、私が歳をとったからではありません。伝道をする喜びを体験したからです。自分が献げた何倍もの恵みを、神様から与えられているからです。先にも述べたように、そもそも賜物とは私が得たものではなく、神様から預かっているものです。その預かりものをどこかにしまっておくのではなく、十分に用いる人生を歩んでいきたいと思います。「忠実な僕よ、よくやった。」と言われるその日まで・・・