神ファーストに生きる

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最近、「都民ファースト」とか「アメリカファースト」という言葉をよく耳にする。「都民第一主義」「アメリカ第一主義」という意味であるが、悪く言えば、「私さえよければ、他の人はどうなってもよい」ということにもなる。私たちも「私ファースト」になってはいないだろうか?私も先日、子供たちから「信夫ファースト」でけしからんと言われた。

「私ファースト」の行きつくところはどこか。「愚かな金持ち」の例え話では、自分の畑が豊作であった金持ちが、その作物を分かち合うことをせず、自分がこれから先何年も食べたり飲んだりして楽しむために、もっと大きな倉を建て、そこに仕舞い込んだ。すると神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。」ルカ12:20と言われた。自分のために仕舞い込んでも、命の保証にはならない。地上を去る時、何一つ持っていくことはできない。「私ファースト」という生き方が、どれほど虚しいかを悟って、悔い改めたい。

私たちをご自身に似せて造られた神は、「神ファースト」に生きることを私たちに願っておられる。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。」マタイ6:19-20。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」マタイ6:33。この主の言葉に聞き従って生活してみると、神が必要なものを必ず満たしてくださることを経験する。

「神ファースト」は、お金の使い方にもよく表れる。収入がある時には、真っ先に献金として捧げる。それも「収入の十分の一」を目安として捧げる。すると、無駄遣いせず、シンプルライフが身に着く。最後に余ったら捧げようと思うと、十分な献金はできない。長男は生真面目にも家計簿をつける習慣があるが、献金は支出の項目ではなく、収入の項目に入れていた。尋ねてみると、「献金は天国銀行に貯金するようなものだ」との返事があった。マイナス金利時代、この地上に富を積んでいても一向に増えないが、天に富を積むならば、何倍にも何十倍にもその富が用いられる。

「神ファースト」に生きる時、人生も教会の働きも実を結んでいく。「キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。」ローマ15:3(口語訳)。だとしたら、「私ファースト」の生き方を捨てて、「神ファースト」に生きる信仰の道を選び取ろうではないか。