献げるクリスマス

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「世界バプテスト祈祷週間」は終わったが、世界宣教のための祈りと献金を今後も捧げていきたい。世界宣教のための献金は、アメリカでは「ロティー・ムーン・クリスマス献金」と呼ばれている。ロティー・ムーンは、40年間、中国宣教のために一生懸命働いたが、遂に病に倒れ、帰国途中の1912年12月24日、神戸港に寄港した船の中で、クリスマスイヴの鐘を聞きながら、静かに72才の生涯を閉じた。後に残された残高ゼロの銀行通帳には、「私のような淋しさを経験する宣教師が決してないように」と書かれてあった。この困難な働きがなければ、私たちの所にまで福音が届けられなかったことを思うと、世界宣教は私たちの教会にとっても大切な使命である。

「目をささげ、手足をささげ、降誕祭」と歌ったハンセン病患者の玉木愛子さんは、病によって視力と手足という大切なものを失ったが、目を失った、手足を失ったとは歌わなかった。その最も大切なものを神にささげることができたと、悲しみを乗り越えて、救い主に出会った喜びを表した。東方の博士たちも、御子イエス様に出会った時、ひざまずいて拝み、携えて来た宝物を献げたと、マタイ2章では記す。彼らは自分の持っている最も大切なもの「黄金、乳香、没薬」を献げた後、喜んで帰って行った。彼らの目的は、得ることではなく、神の恵みに応えて献げることにあった。

「そんなに献げたらもったいない」と思う人はいないか。しかし、私たちの罪を贖うために、神は御子イエス様を十字架につけるために、この世に遣わしてくださった。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネ3:16。私たちを罪と死の滅びから救うために、神はご自分の独り子さえ惜しまずに献げてくださったことを知る時、その神の恵みに応えるためには、どれほどの献げものをもってしても十分ではないだろう。

私たちは、クリスマスの本当の贈り物である御子イエス様の救いに与った者として、自分の人生を献げて、神と人に仕える者になろうではないか。本日、歳末助け合い募金を行うが、久山療育園のある福岡では、諸教会の方々が毎月天神駅前で募金活動に励み、夏にはワークキャンプを行っている。その活動を通して、福祉や医療に従事する若者が起こされている。献げることは失うことではない。むしろ、献げることによって、自分の人生が豊かにされ、他者が生かされ、天に宝を積むことになる。神の恵みに応えて、自分自身を神に献げるクリスマスを迎えたいものである。