父なる神が私たちに与えてくださるもの

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皆さんにとって、「父」とはどのような存在か。一昔前は「地震、雷、火事、親父」と怖れられる存在であった。私も子供の頃、悩み事があると、父には相談せず、母に相談した。父は煙たい存在であった。「父なる神」もそんな存在だと思っている人はいないか。だから遠藤周作は、神とはそのような厳格な正義の神ではなく、ひたすら優しい母なる神であると、異を唱えた。近年、フェミニズム神学が起こり、この「父なる神」が問題になっている。「もし神が男性なら、男性が神となる」それが性差別を助長していると指摘している。確かに、神も神の子も男性だったという理由で、聖職者を男性に限るという伝統は、カトリックでは「神父」は存在しても、女性司祭「神母」は認められず、プロテスタントにおいても女性牧師が少数であることからわかる。

「父」「子」「聖霊」の三位一体の神は、キリスト教の大きな特徴である。イエスも神を「わたしの父」と呼び、旧約においては数回しか神は父と呼ばれていないが、新約では、ヨハネ福音書だけでも100回以上も呼ばれる。イエスが神を「わたしの父」と呼んだとしても、それが今日の教会に何をもたらしたのか、真剣に問いかける必要はあるが、「父なる神」が私たちに何をもたらしたのか、しっかり捉える必要がある。

「あなたがたの天の父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。」マタイ6:32。天の父である神は、子である私たちに何が必要なのかを十分に知っているので、それを与えることができる。けれどもこの言葉は同時に、私たちが願い求めたものがその通りにすぐに与えられるわけではないことをも示す。私たちが必要と思うことと、神が私たちに必要だと思っておられることとが食い違っていて、願っても与えられなかったり、願ったものとは違うものが与えられることもある。

この事は、子供を育てることの中で私たちも体験する。子供は色々なものを欲しがるが、その欲しがるものを全て与える親がいたとしたら、それは子供をダメにする。本当に子供を愛し、しっかり育てようとするなら、子供の成長の様子を見ながら、必要なものを与えるだろう。それでは、父なる神は私たちに何を与えてくださるのか。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」同6:33。天の父の子として生きることをまず第一に求めていくことこそ、本当に必要なものによってしっかりと養われ、守られ、導かれるのである。「父なる神」「わたしの父」として信じる信仰こそ、神が私たちに与えてくださるものである。