忘れてしまわない   武 章子

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先週の月曜日、8月の「首相官邸前でゴスペルを歌う会」に出かけてきた。18時から1時間、先月まではまだ薄明るくて、リュックに常備の懐中電灯は出番の無いまま終わっていたが、今回はしょっぱなから何だか薄暗い。でもまだ8月だよね~と思う抵抗も虚しく、30分もすると街灯がつき始め、老眼の目には歌集の文字が判別しにくくなってきた。毎年、17時過ぎても明るいと「日が延びてきた!」とわけもなく嬉しくなり、反対に19時の明るさが陰ってくると「あ~ またどんどん暗くなるのが早くなるんだ」とつまらない気持ちになる。この日はそのつまらなさを今年初めて感じた日となった。次回のゴスペルは確実に懐中電灯の登場だ。

確かに今年も残すところ三分の一となった。そうこうしているうちに2018年の年賀状が発売され、教会ではクリスマスの準備に追われ始めるのだろう。

しかし、まてまて。時の流れは確かに速いがそれに呑み込まれている場合ではない。ゴスペルの会の中で、沖縄から遠く離れて暮らしている私たちが日常の中でどうしたら沖縄を覚えていられるか、いろんな方の工夫を聞いた。さんぴん茶(沖縄のスタンダードなお茶)を飲む、沖縄の新聞を取る、SNSを使って毎日沖縄の最新情報に目を通す…。沖縄問題に留まらず、東日本大震災で津波の起きた時間に腕時計のアラームをセットして、毎日その時間を覚えている方もおられるとのこと。私たち上尾教会でも毎年8月を平和月間とし、毎日曜日いろんな形で、72年前に何が起こってきたのか、今、日本で世界で何が起きているのかを、知り祈る時を持った。

マスコミもこの時期は平和関連の特別番組や記事が多いし、先日の「24時間テレビ」では被災地の今、避難生活の現状が伝えられ、当たり前のように過ぎていく日常の中で、立ち止まり今一度考える機会を与えられた。それはとても大切なことなのだが、季節行事になってしまわぬようにと心のどこかで警鐘が鳴る。共謀罪法も憲法改憲も鳴りを潜めているが、決して無くなったのではないこと、被災地のニュースは殆ど無くなったが理不尽を強いられた人々の心と生活が決して元に戻ったわけではないこと…。日本だけでなく世界に目を向けた時、知ること考えることはもはや個人の範囲を超えてしまうだろう。だからこそなのだ。一人一人の生活の中で「忘れてしまわない」何か小さなことを持ち寄り、その小さなことは繋がり合い、神様の平和を求める祈りとなるようにと願う、9月の始まりである。