御言葉と祈りの共同体

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聖書日課は、「ヨハネの黙示録」に入ったが、先週は7つの教会に宛てた手紙を読んで、上尾教会は、又、自分の信仰は、どれに当てはまるだろうかと振り返った。エフェソは最初の愛を見捨てた教会、スミルナは迫害に耐えた教会、ペルガモンは悔い改めを必要としている教会、ティアティラは偽預言者のいる教会、サルディスは眠っている教会、フィラデルフィアは忍耐を持って耐え忍ぶ教会、ラオディキアはなまぬるい信仰の教会であった。この7つの教会に宛てた手紙の最後には、「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」と記されていた。神の霊感によって書かれた聖書から学んで、私たちは主の願う教会を形成しなければならない。

それには、御言葉に聴き従い、心を一つにして祈り合う教会になることである。そこに神の言葉は、現実の出来事になる。初代教会は、約束の聖霊を待ち望んで心を一つにして祈り合っていた弟子たちの上に聖霊が降り、ペンテコステの日に誕生した。上尾教会も47年前、大原姉の上尾への引越しを機に、西川口教会の開拓伝道の幻が結実し、家の教会として始まった。そこでは、二、三人の祈りから始った。

「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイ18:19-20。

イエス・キリストの名によって地上で心を一つにして集まる所に、主も共におられ、その祈りを聞いて、適えてくださるのである。私たちは、そのことを何度となく経験してきた。祈祷会では二人一組になって祈り合うが、「会堂を与えてください」「牧師館を与えてください」と、膝をつき合わせて、子供たちと諦めないで祈り続けてきた。その祈りに主は応え、最高の場所に会堂も牧師館も与えてくださった。

もちろん、ただ私たちの願いが聞かれたということではない。神の御心を求めて、心を合わせて祈ったからである。「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。」1ヨハネ5:14-15。御言葉を聴いて、それに従順に従って、祈りを合わせるところに、神は大いなる御業を成し遂げてくださる。教会は「御言葉と祈りの共同体」である。「二人または三人」の中に加わって、祈り合おうではないか。