平和の君である主よ、来てください

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今日からアドベントを迎えた。アドベントとは、ラテン語で「到来する」という意味である。救い主イエス・キリストの到来を待ち望むことがアドベントの意味である。救い主が来られたのは、私たちを罪から救い出すためである。罪の赦しという恵みを与えるために、主は私たちの罪の只中に来られ、私たちの罪と戦ってくださる。私たちを滅ぼすためではなく、私たちを生かし、平和を与えるためであった。

主ご自身が平和をもたらすために戦われる。それは剣や槍といった武力によってではない。「わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。」ゼカリヤ9:10と預言されたように、救い主は武力によってではなく、非暴力によって平和をもたらされる。主がエルサレムに入場された時、乗られたのは馬ではなく、ロバの子であった。ロバは戦いのためではなく、農耕のために使用される家畜で、それは平和を象徴している。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して 鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」イザヤ2:4。救い主の到来は、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とするためであった。鋤と鎌は、農耕用の道具である。「もはや戦うことを学ばない」とは、戦争を放棄することである。

ローマ教皇が広島平和記念公園での演説の中で、「武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、一層の犠牲者と廃虚を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼り続けながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にあり得ません。それに平和は単に戦争がないことでもなく、絶えず建設されるべきものです。」と語ったが、それは平和の主がもたらしてくれるものである。

そのために、私たちは救い主を心にお迎えしたい。主は私たちの心を耕して平和を与えてくださる。平和は、一人で立ち向かっていくことでも、また武力という目に見える力に頼ることでもなく、平和の光をもたらしてくださる救い主と共に生きることである。「平和の君である主よ、来てください。私たちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!」との祈りを、私たちも捧げていきたい。