寄り添うことの大切さ

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先月、私たちは「寄り添う」ことを深く学んだのではないか。神谷武宏先生を通して、子どもの命を守るために、保育園の保護者に寄り添いながら立ち上がったこと、また、樋野興夫先生を通して、大切な人ががんになった時、生きる力を引き出す寄り添い方を。この寄り添うとは、励ますことではない。柏木哲夫先生は、著書の中で、次のように語られていた。『励ますというのは外から動かす力だと思います。相手の方を励ますために、「がんばりましょう」と声をかけます。それは、自分はあまり関与しなくてもいいことなのです。「がんばりましょう」と言ったら、あとはがんばるか、がんばらないかは、相手の方の問題になります。励ましたから、自分の役割は終わったのです。ところが「寄り添う」というのは、自分も参加することです。そばにそっと寄り添うというのは、そこから逃げ出さないで、空間を共にするという意味があります。共に担うのです。ここから先はあなた一人でやってください、私の役割は終わりましたよ、という訳ではないのです。』

寄り添うというのは、共にいること、共に担うことで、とても時間と忍耐のいることである。「善きサマリヤ人」のように、とことん相手の心に寄り添うことである。人によっては、本当はこうしてほしいのに我慢して言えない、という事もあるだろうから、そういった言えない部分も想像して相手の心を汲み取り、行動や発言をしていくことである。このような寄り添う心は、本来の罪ある人間には備えられていないのではないか。そのような心は、主から与えられるものである。主は「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」マタイ9:36とあるように、弱り果て、傷ついた者の所に走り寄ってくださる方である。

私たちは、何らかの破れを抱えながら生きている。人間関係の破れ、生活苦の破れ、仕事上の破れ、健康上の破れなど、人には言えない悩みを抱えている。自分の力で何とかできるはずだと、がんばってみたものの、疲れ果て、自暴自棄になってしまうことがあるのではないか。主は、そんな私たちに憐れみをもって近づいてくださる。私たちの弱さ、罪、破れに共感し、私はあなたと共にいる、と慰めてくださる。だから主に出会った私たちも、自分のことのように、他の人たちの弱さ、苦しみ、罪に、共感を持って近づくことができるのではないか。寄り添う力の源である主の愛を頂いて、私たちに出来る仕方で寄り添っていきたい。福音は、ただ言葉を持って伝えるだけではなく、寄り添うことを通して伝えられていくものである。