子供たちの未来に希望を与えるために

Home / 週報巻頭言 / 子供たちの未来に希望を与えるために

本日、「子供の日」礼拝を迎えた。子供達が礼拝に出席するだけではなく、奉仕することによって、主に仕える喜びを経験してほしいと願っている。その甲斐があってか、子供達の信仰が育ち、奉仕を立派に担ってくれている。子供達は、主をお乗せしたロバの子のように、教会の「明日の担い手」ではなく、「今日の担い手」である。だから、子供達には奉仕はまだ無理と思わないで、奉仕を一緒に担ってもらおう。

今日の社会は、人権や平和や命が至る所で踏みにじられている。特に、子供達の世界で、虐待やいじめや自殺と言った悲しい事件が絶えない。どの子供も神に造られ、神に愛された掛けがえのない大切な命であるはずなのに、親も子供もありのままの姿を受け入れようとしない。自分の思い通りにいかないと、腹を立てる親、自暴自棄になる子供が何と多いことか。「誰の子供も殺させない」と戦争法案に反対するママの会のキャッチフレーズにあったが、子供達の心を既に殺してしまってはいないか、私達は猛反省したい。そして平和や命を与えるために、主イエスがこの世に来られてことを思い起し、主の福音にしっかりと生き、主の福音を伝えていきたい。

今、聖書日課でエレミヤ書を学んでいるが、祖国の南ユダがバビロニアに滅ぼされるので、ゼデキヤ王に降伏しなさいと、預言者エレミヤは勧める。その姿を見て、祈祷会の分かち合いで、「教会は霊的なことだけを語ればよいのであって、社会的問題を語るのは、教会のすることではないという人がいるが、それは間違いではないだろうか。私達キリスト者も今日の預言者として立たされているのだから、エレミヤのように語るべきではないか」と言われた言葉が心に残った。この社会の不正や差別や暴力、特に、人権や平和や命が踏みにじられることがあれば、キリスト者は弱者の立場に立って、恐れずに声を上げていこう。主イエスも、まさにそのように生きられたのだから・・。

先日、シールズの奥田愛基兄の話の中で、「私という個人が声を上げた時に、初めは小さくても社会や政治を動かす力となっていった。そこに希望がある」と言われた言葉が心に残った。どうせ、私が反対しても社会も政治も動かないと思うのは、「平和の祈り」を放棄していると言わざるをえない。主よ、平和を私達にお授け下さい。私達の全ての業を成し遂げて下さるのはあなたですイザヤ26:12。今年度の聖句の約束を信じて、ひたすら祈り、行動していこう。5月3日の「憲法フェスティバル」「明日を決めるのは私達~平和と命と人権を!憲法集会」にも参加して、子供達の未来に希望を与えよう。