大きな喜びを告げるクリスマス

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二年前のクリスマス、694gで産まれた「喜々」も皆さんの祈りに支えられて、すくすくと成長し、よく笑い、歩けるようになった。父親の義也が、「喜々」の名前の由来を、「危機を乗り越えて生まれてきた感謝を忘れないで欲しい、という願い。そして、神様の喜びの子と、私たちの喜びの子という2つの喜びからきています。」と語っていたが、命が育まれたことは大きな喜びである。「いとしご、胸に抱けば、喜び、ほほえむ、大いなり、み手にある、救いの確かさ、主は生く。」(新生讃美歌493)の心境であろう。

しかし、どれほど命が育まれても、誰もが死を迎えなければならない。聖書には、主が病人を癒された記事で満ちているが、病気が癒されてもやがて死を迎える。だからこそクリスマスは、「癒し主」の誕生ではなく、「救い主」の誕生を祝うのである。では、救い主は私たちにどんな救いを与えてくださるのか。それは、罪と死の滅びからの救いである。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16。この「永遠の命」は、ただイエス・キリストを自分の救い主として信じるだけで与えられるのである。

妻の純子が、長男の献一を最初に胸に抱いた時、喜びよりも恐れの方が大きかったと言った。それは、この子もやがて死を迎えるのかと思うと、率直に喜べない、何としても主を信じてほしい、永遠の命に与ってほしいと、親としての責任の大きさを感じたからである。主イエスが生まれてから40日目(清めの期間が過ぎた時)、「両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。」ルカ2:22とあるが、生後2ヶ月の献一を自転車の荷台の籠に乗せて、聖夜キャロリングに連れて行ったことなど、今にして思えば、無謀?とも思えることも、主の救いに与ってほしいと願ったからである。その甲斐があってか、今では献一も、親と同じことをしている。

恐れを抱いていた羊飼いたちに天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」ルカ2:10-11と語りかけた。「救い主が生まれた」という知らせが、「大きな喜び」となるための鍵は、「あなたがたのために」という言葉にある。世界人類のためとか、特別な苦しみや困難の中にいる誰かのためではなくて、あなたのために、あなたの家族のために、救い主はお生まれになったのである。主イエスの誕生を家族と一緒にお祝いし、大きな喜びである主の救いに与ろうではないか。