命にもまさる恵み

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生きる上で一番大切なものは何か。それは「富」でも「名声」でもなく、「命」である。主イエスも、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」マルコ8:36‐37と言われ、富や名声、財産をどんなにたくさん得たとしても、自分の命を買い戻すことができないほど、命は大切なものであると教えられた。それ故に、親はわが子が危険な目に遭いそうな時、「あぶない」「ダメ」と大声で自分の命を守ることを教えるのである。

それほど大切な命であるが、先週の祈祷会で学んだ詩編63:4には、「あなたの慈しみは命にもまさる恵み。」と記されていた。主の慈しみは、命を超える恵みとして私たちに与えられているという。この「命にまさる恵みとは何か。そのことを考えていた時に、星野富弘さんの詩を思い出した。いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」この「いのちより大切なものがあると知った日」とは何か。それは星野さんにとって、主イエスに出会った日。主に出会い、罪を赦していただき、神と共に生きる永遠の命に与った時から、不自由な生活の中でも、生きているのが嬉しくなったのではないか。

樋野興夫先生も、命が尊いことは確かですが、“自分の命よりも大切なものがある”と思ったほうが、私たちは幸せな人生を送ることができるようです。“命が何よりも大切”と考えてしまうと、死はネガティブなもの(命の敵)になり、ある時を境に死に怯えて生きることになります。命よりも大切なものを見つけるために、自分以外のもの、内から外に関心を向けてください。あなたに与えられた人生の役割や使命が見えてくるでしょう。」と語られていた。

「自分の命より大切ものがある」と気づく時、愛や信仰、正義や自由のために自分の命を投げ出しても惜しくないと思えるのではないか。アウシュビッツで「私は妻子あるこの人の身代わりになりたい」と申し出て代わりに死んだコルベ神父にとって、見ず知らずの人の命は自分の命より大切なものであった。『平和の祈り』の中に、「死ぬことによってのみ、永遠の命に生きることを深く悟らせてください」という言葉があるが、その永遠の命に与るために、自分の命を捧げることもいとわないとする行動(使命)が生まれるのではないか。「使命」とは、「命を使う」身を削ることである。主は私たちのために尊い命を捨ててくださった。それによって、罪赦され、永遠の命に与ることができた。この主の慈しみに応えるところに、「命にまさる恵み」に与ることができるのである。