収穫の主に願いなさい

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「2015年問題とキリスト教会」という文書を読んで、大変ショックを受けた。そこには、「教職者の年齢構成で言えば、2009年の調査では平均年齢が61.6歳であったが、2015年の調査データーでは67.8歳となり、又、70歳以上が48%近くを占めていることから教職者の高齢化が急速に進んでいると共に、若返りが図られていない現状がうかがえる。」とあったからである。これは、日本バプテスト連盟にも言えることである。20代、30代の教役者はわずかであり、大半は、50代以上が占めている。これでは、あと何年かすれば、牧師は足りず、無牧師の教会はさらに増えていくだろう。

献身者が起こされることを期待したいが、今年、西南大学神学部に入ったのは、一年次からは1名、3年次からの編入は3名、選科に2名、その他の在校生を含めても19名である。又、東京バプテスト神学校の専攻科は11名、九州バプテストの牧師コースは8名と、まだまだ献身者の数は少ない。主は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」ルカ10:2と言われた。私たち教会は、「働き手が少ない」と嘆くのではなく、「収穫の主に願いなさい」と、献身者が起こされるように、ひたすら祈ることである。

そして、青年たちに献身の道をたゆまずアピールすることである。上尾朝祷会の折、日本基督教団でも献身する人が少ないので、ある牧師が、青年を牧師館にショートステイさせて、牧師の仕事がどんなに意義深いものであるのか、直に触れてもらう取り組みを始めたと伺った。それは、よい試みであると思った。本日、お迎えした杉山望先生も牧師館育ちである。いわば、牧師館にロングステイして、父親から牧師の仕事がどんに苦労があったとしても、それ以上に意義深いものであるかを肌で感じて、献身に導かれたのである。我が家の息子たちもそうであるが、牧師館育ちの牧師が何と多いことか。人は触れているものに似てくると言われる。牧師の生き様を通して、私も牧師になりたいという人が起こされたら、これほど嬉しいことはない。

今日、若くして牧会から退く人を目にすることが多くなった。その原因は、教会員の高齢化に伴い、若い牧師を育てることよりも、その未熟さを非難しがちなこと、又、教会の財政基盤の弱さから牧師を十分に支えられないこと、牧師の対話力や忍耐力の欠如など、教会にも牧師にも原因があると考えられる。それだけに、牧師を支援する助言者の働きや牧師の継続教育、又、牧師を招く教会の責任は極めて大きい。