信仰のおのずから起こるとき

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伝道懇談会では、とてもよい話し合いが出来たのではないか。信仰をどのように継承していったらよいのか、沢山の意見が出された。その意見を聞きながら、「伝える」ということと、「伝わる」ということの間には大きな違いがあると感じた。一生懸命、主の福音を伝えているつもりであっても、相手に伝わっているのは、福音の豊かさではなく、親の強引さであったり、一方的な話しであったりする。それが、福音から子供の心を遠ざけていることも確かだ。「お母さん、黙って私の話を聞いてほしいの。答えはいらないわ。聞いてくれるだけでいいの」子供からそう言われて、話すのではなく、聞くことに徹したことがよかったと思う、との発言に共感を覚えた。

「伝わる」ためには、相手を理解することが必要である。それは丁度、日本のリレーが特長とする、「アンダーハンドパス」と同じである。頭ごなしに信仰のバトンを渡すのではなく、相手を理解して下から信仰のバトンを渡すことである。そのためには、待つことが大切である。「愛のおのずから起こるときまでは、ことさらに呼び起こすことも、さますこともしないように。」雅歌2:7(口語訳)とあるが、「愛」「信仰」に言い換えるならば、「信仰のおのずから起こるときまでは、ことさらに呼び起こすことも、さますこともしないように。」となる。信仰は強制されて信じるものではなく、自由で自発的なものである。だから、そうなるまで待つことである。その時が来ると信じて、見守り、待つならば、やがて「おのずから起こるとき」がやってくるであろう。

待つということは、「祈る」ということでもある。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」詩篇62:1(新改訳)「黙って」とは、単に、何も言わず黙しているということでなく、私のたましいよ、神の内に安息を見いだして、安心しなさい。どんな状況においても、慌てることなく、神にすべてを委ねて、神を信頼し、神を待ち望んで祈りなさい。」ということである。なぜなら、すべての必要、助け、導き、救いは、すべて神から来ると信じるからである。根拠のある大丈夫!である。

私たちは待つことが苦手ではないか。しかし、信仰の継承には、祈って待ち望むことが求められている。信仰は親から子供に財産のように譲り渡して、引き継ぐような性質のものでない。信仰は神の深いみ旨による選びであって、神から与えられる賜物、贈物である。その賜物は、待てば待つほど、大きな喜びとなって返ってくる。「信仰のおのずから起こるとき」がやってくるように、待ち望もうではないか。