人間同士として出会い直しませんか

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佐々木和之先生が礼拝の中で、ルワンダで起きている加害者と被害者との出会いは日本でも起きていると言って、ヘイトスピーチの被害者・在日コリアン3世の崔江以子(チェ・カンイジャ)さんが、デモの主催者に手紙を渡した言葉を紹介して下さった。「私たちの出会いは悲しい出会いでした。私たち出会い直しませんか。加害、被害の関係から、今この時を共に生きる一人の人間同士として出会い直しませんか。加害、被害のステージから共に降りませんか。」何と愛に満ちた呼びかけであろうか。被害者にとって、加害者は自分の前から消えてもらいたい、二度と顔も見たくない存在ではないか。しかし、崔江以子さんは、加害、被害の関係から、今この時を共に生きる一人の人間同士として出会い直しませんか」と、むしろ友好の手を差し伸べたのである。手紙には、崔さんの電話番号も書かれていたとのこと。崔さんは、「相手は強い言葉、ひどい言葉を示すことなく、きちんと聞いてくれました。ただ、大変混乱した状況なので、改めて連絡をお待ちすることにしました。一人の人として向かい合ってくれました。考え方は違うかもしれませんが、きちんと向かい合って頂けたと思います」と語っていた。

差別をする側と対話しようとするのは、なぜか。デモ中止後、記者からの問いかけに崔さんは、「川崎の桜本は、2度の攻撃を受けて傷ついていますが、ヘイトスピーチする人たちを排除したいのではなく、やめれば共に生きていくことはできる。特別なことではありません」と答えていた。自分と考えの違う人を排除することではなく、その人と共に生きていきたい、ここに差別や対立、争いを解決する道があるのではないか。

私は、崔さんの生き方が、埼玉アシュラムでの静聴の箇所「善いサマリア人」と共通することを示された。サマリヤ人はユダヤ人から蔑視されていた。そのサマリア人が旅の途中で、追いはぎに襲われた人が倒れているを見て、「憐れに思い」近寄って介抱し、更に宿屋に連れて行って世話をし、費用は全部自分が面倒を見た。相手が傷ついていても、見ず知らずの人にここまで助ける道義的責任はないだろう。しかし、サマリヤ人には、主の「憐み」があった。主の憐みははらわたのちぎれる」ほど、極みまで愛する憐みである。そこには限界がない。隣人になるとは、「行って、あなたも同じようにしなさい」ルカ10:37との主の言葉に生きることである。今、世界を見る時、排除の論理が高まり、共に生きる道を閉ざそうとしているが、主の憐みに与ることによって、今この時を共に生きる一人の人間同士として、出会い直してみたい。