主イエスこそ、共にいてくださる神

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時折「神がいるなら、見せてくれ」と言われる人がいる。神がいるならば、世の中の戦争や迫害や貧困はどうして起こるのか。神は、毎日世界中に何万と死んで行く幼子を愛していないのか。このような問いは、古くからキリスト教に向けられてきた。私たちは、神の愛をこの世の現実の中に見いだそうとする。それに対して聖書は、神の愛は人間の目には隠されているが、信仰の目を持って見るなら、神の愛は見ることができると語る。クリスマスの出来事は、私たちをそういう信仰へと招くのである。

クリスマスの出来事の大事な言葉は「見る」ということである。御使いが羊飼いたちに現れて「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」と語り、羊飼いは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と話し合う。シメオンは幼子を抱いて、「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」と言う。無限の霊である神を、人間は肉眼をもって見ることは出来ない。しかし、主イエスを見るならば、「あなたは神を見た」と言える。

主イエスの素晴らしさは、神ご自身を見せてくれたことである。文字通り「見える神」となられた。この主イエスにおいて見る神の姿は、私たちに寄り添ってくださる神である。主イエスは私たちと同じように、人間として歩まれた。空腹を覚え、悲しみや嘆きも体験された。涙を流し、怒ることもあった。憐みに心を動かされた。人となられた神は、私たちの傍らにいる神となってくださった。主イエスは、「神は我々と共におられる」という意味で、「インマヌエル」と呼ばれたのである。

ある聖書学者は、「クリスマスは、神ご自身が身を投げ出してくださった出来事だ。丁度、母親が火事で火を浴びている子どもの上に身を投げ出すように、大波に襲われた子のために、父親が身を投げ出して救い出すように、神が身を投げ出してくれた出来事だ。」と語る。神から離れて滅びへの道を歩み出した者のために、神が身を投げ出してくださった。主イエスこそ、私たちを愛して、私たちのために身を投げ出して救う神となってくださった。孤独を味わう時、病む時、辛さと痛みを味わう時、死の谷を歩む時、主イエスは私たちの傍らに共にいてくださる神である。主イエスは私たちに寄り添いながら、父なる神との交わりの中に導き入れてくださる。父なる神と御子との深い愛の交わりの中に、あなたも招かれている。今日のクリスマスの良き日に、主イエスを救い主と信じて、その深い愛の交わりの中に生きようではないか。