主の貧しさによって、豊かになる

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「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」ルカ2:11

クリスマスの日に、なぜ神の御子がお生まれになったのか。それは、私たちを罪から救うために、私たちに代わって、一切の罪の裁きをその身に担われるためであった。この主イエスによってもたらされる神の救いから除かれる人は一人もいない。すべての人がこの神の救いに招かれている。自分は神から見捨てられている、そう思って生きる希望と勇気とを失いそうになっている人々に向かって、神は「わたしはあなたを見捨てない。わたしはあなたと共にいる。あなたの苦しみ、嘆き、痛み、不安、そのすべてをわたしは知っている。わたしはあなたを愛している。」そう告げられる。

その神の御心を現したのが、神の御子の姿である。だから、主イエスは馬小屋で生まれ、平凡な夫婦であったヨセフとマリアが父と母となり、ヘロデ王の虐殺を恐れてエジプトに難民として逃れ、犯罪人と共に十字架の上で死なれた。主の生涯は、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所 もない。」ルカ9:58。私たちのためにここまで小さくなられ、私たちのためにここまで貧しくなられた。

私たちは、自分のことしか考えることが出来ず、それが他者との関係を、神との関係を破壊し、断絶してきたのではないか。そんな私たちのために、神は、神の独り子を、最も小さい、最も貧しい者として、この世に遣わされた。これは常識的にはあり得ないことである。祈祷会で「愛するわが子を、人々の救いのためとはいえ、死なせる親はどこにいるでしょうか。」という意見があったが、親自身が死ぬならまだしも、わが子を死なせる親はいない。しかし、父なる神はそうではなかった。これが人知を超えた神の愛である。この愛が現されたのが、クリスマスの出来事であった。

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」Ⅱコリント8:9。私たちが豊かに生きるために、主イエスは貧しくなられた。主ご自身が身を捧げ、最後の一滴まで血を流し、私たちに罪の赦しと永遠の命をもたらしてくださった。この主の恵みに応えるただ一つの道は、生涯、主を礼拝し、主に仕える者として歩むことである。ハンセン病を患った玉木愛子さんは、この主の恵みに対して、「目をささげ、手足をささげ、降誕祭」と詠い、生涯、主の愛を証し続けた。苦しみと悲しみが、感謝と喜びに変わった。主の貧しさによって豊かにされた私たちも、生涯を主に献げていきたい。