主の愛に生きる教会

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2017年度の上尾教会の主題は「主の愛に生きる教会」、聖句は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」ヨハネによる福音書15:12に決まった。この一年、この主題と聖句の下に、歩んでいきたいと思う。当たり前のことだが、「互いに愛し合う」ことは、一人ではできない。一方通行の愛はただの自己満足に過ぎない。二人の内、どちらか一方にだけ命じられているのではなく、私たち一人一人に向かって、「互いに愛し合いなさい」と命じられている。

しかし、私たちは罪人の集まりである。愛したいと願いながらも、人を愛せない自分を見ることはないか。主はただ「互いに愛し合いなさい」と言われたのではない。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。と言われた。つまり主が私たちのことを愛してくださったように、そのような愛し方で互いに愛し合いなさいと言われたのである。私たちが本当の意味で人を愛するようになるためには、主がどのように私たちのことを愛してくださったか、そのことをまず知ることである。

それは主の十字架の愛に端的に表れている。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。」ローマ5:6。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」同5:8。「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた・・」同5:10。

つまり私たちが立派だったから、神を信じるようになったから、主は私たちのことを愛してくださったのではない。私たちがまだ弱く、罪深い生活をしていた頃から、主に対して敵対心を持っていた頃から、主は私たちのことを愛して、そんな私たちを救うために、主は命を投げ出して、十字架に架かって死んでくださった。つまり、主が私たちの欠点も失敗もあるままに、私たちを受け入れてくださったように、欠点もあり失敗もする、そのような相手を、私たちも受け入れていくのである。

「さやかに星はきらめき」(O Holy Night)の歌詞を思い出した。「“互いに愛せよ”と説き、平和の道を教え、すべてのくびきをこぼち、自由を与え給う。げに主こそ平和の君、たぐいなき愛の人、伝えよ、そのおとずれを、広めよ、きよき御業を、たたえよ、声の限り。」今、世界は、互いに裁き合い、憎しみ合い、傷つけ合っている。「主の愛に生きる教会」として、主の愛を宣べ伝え、その主の愛をもって、互いに愛し合っていきたい。