ひとりひとりが大切にされる礼拝

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2019年は、上尾教会にとってどんな年であっただろうか。会堂20周年を迎え、この会堂で、今日まで豊かな礼拝が捧げられ、祈りが捧げられたことを、主に感謝することができた。年を重ねるにつれ、誰でも安心して礼拝を捧げられるように、様々な取り組みも生まれてきた。歩行器や車椅子が必要になってきた方が増えてきたので、椅子の並びも工夫するようになってきた。又、送迎と共に、乗り降りの介助にも心を配るようになってきた。様々なサポートが必要になってきた方へは、ご家族と連携し、ラインで情報を共有し、チームで動けるような体制になってきた。

福音書の中に、一人の病人が4人の友人の協力を得て、屋根からベットごとつり降ろされて主の下へ連れて行かれ、主の救いに与ったことが記されているが、教会でも病人がベットごと礼拝が捧げられたら、どれほど大きな慰めと力になるだろうか。病室で出張晩餐式を行った時、一同で主の十字架の恵みに感謝の祈りを捧げることができた。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」マタイ11:28。この御言葉を必要としている人と一緒に礼拝が捧げられるように、私たちも心を配っていきたい。相互牧会とは、魂への配慮(ケア)をすることである。

一緒に礼拝を捧げていた教会員を天国に見送ることが多くなってきたが、天国でも直接主とお会いして礼拝を捧げていることであろう。主は私たちに、この地上で最期の日まで礼拝を捧げることを願っている。そのために、日々体が衰えていく私たちは、信仰の友の支えを必要としている。助け合って、天国を目指していきたい。

クリスマスに、「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」ルカ2:10と聞いた私たちは、誰と一緒に礼拝を捧げるかが問われている。「私一人」でも「教会員と共に」でもなく、神に造られた「民全体」すべての人々と礼拝を捧げることが求められている。ホームレス支援をしている奥田知志先生が『いつか笑える日が来る』という新刊の中で、“そんな出会いの中で、一つの「信仰告白」というべき「教会標語」が与えられました。「神様はどうでもいい命をお創りになるほどお暇ではありません。この事実を証明するために、東八幡キリスト教会はひとりを大切にする教会になる。」あらゆる命、あらゆる出来事、そして、すべての人生には意味がある。私たちの目には遠回りだ、無駄だと思える道も、神様が備えた道だと信じていこう、と呼びかけたのでした。毎週、この言葉を司会者は宣言し、礼拝が始まります。”と語ったように、ひとりひとりが大切にされる礼拝を目指したい。