その賜物はアリ?ナシ?      武 章子

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「自分には賜物なんて言えるほどのもの無いなぁ。」そんな声を聞くことがある。でも、その方は私が逆立ちしても真似の出来ない、素晴らしい賜物を持っていらっしゃるのに…と思う。なるほど人は自分に出来ることは余り大した事ではないと思うものかもしれない。この程度のことであればもっと上手に出来る人は一杯いる、このくらいで賜物です、なんて言うのはおこがましい、「あぁ、あの人みたいにできたらいいのに…」そんな呟きの一つや二つ、誰しも心に抱いたことがあるのではないだろうか。私自身、50歳を過ぎてからの転職先では、主の導きと確信しながらもこの呟きの連続である。

以前、私は娘が誕生日プレゼントに買ってきてくれたものがリクエストしていた物と少々用途が違っていて、返品もしくは交換ができないかと言ってしまったことがある。時間を割いてリクエストに応えようとプレゼントを探し歩いてくれたのに、その時の娘の気持ちを思うと今でも心の奥がチクリと痛い。ふと、神様の気持ちを思った。神様は誰一人漏れることなく善いものをプレゼントしてくださっている。その善いものは種としてだったり、一見自分には苦手なものだったり。種としていただいたものは神様が何年もかけて慈しみ育て上げてくださる。勿論、そこには自身の努力も不可欠なのだが、長いこと頑張っていると自分の努力の成果だと思ってしまい、さらに思うほどの成果がないと「こんなんじゃ…」と自らその善いものに見切りをつけてしまいたくなる。苦手なプレゼントはちょっとありがた迷惑。「なんで私が…」となり、もっともらしい口実をひねり出してあわよくば逃げ出そうと策略をはかりたくなる。

しかし神様はずっと、皆がどんな風に受け取ってくれるかとわくわくしながら一人一人に一番善いものを準備してプレゼントしてこられたと思う。でも、「このくらいのこと誰でも出来る。」とか「こんなものいらない。」と放り出されることも少なくないのではないだろうか。中には神様からの善いプレゼントと気づいてさえもらえないこともあるかも…? 神様は随分トホホな寂しい思いをしておられるのではないだろうか。あなたへの種のプレゼントは花を咲かせたけれど、それが実になるのはまだまだこれからなのだよ。あなたにとって苦手だとわかっていながら敢えてプレゼントしたのは実は意味があって、その意味にあなたが気づくのを待っているよ。主は一人一人のそばでそう言っておられるのではないだろうか。

自分でこれなら奉仕できると思う「アリ」な賜物も、無理 出来ないと思う「ナシ」な賜物も、神様にしてみたら全て神様選りすぐりの「アリ」な賜物。この巻頭言を書くにあたって「ナシだよ~」と産みの苦しみをしながらここまで導かれた。感謝。