しつように祈り求めよう!

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先週のイースター礼拝には、沢山の子供達が招かれた。イースターエッグを100個近く用意したが、足りないほどであった。中には、礼拝中に泣き叫ぶ子供もいて、私も負けじと宣教の声を張り上げるほどであったが、子供の泣き声はうるさいと感じたのでなく、祈りの声に聞こえて、大変励まされた。八木重吉の『神を呼ぼう』という詩を思い出した。「赤ん坊はなぜにあんなに泣くんだろう、あん、あん、あん、あん、あん、あん、あん、あん、うるせいな、うるさかないよ、呼んでいるんだよ、神さまを呼んでいるんだよ、みんなも呼びな、神さまを呼びな、あんなにしつこく呼びな」

赤ん坊は全身をもって泣き叫ぶ。言葉も知らない、歩いて取ることもできない。まさに何もできない。赤ん坊は泣き叫ぶ以外、何の手段ももたない。しかし、赤ん坊は生まれながら神を知っているかのように叫び続ける。赤ん坊は、目的のものが与えられるまで、決して泣きやまない。それは私達が手段も方法もない時、何をなすべきかを教えている。その時、神が与えた唯一の手段は、神に叫び求めることである。

主イエスも「友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きてきて必要なものは何でも与えるであろう。」ルカ11:8と語る。「しつように」つまり神と友達関係で、自分はクリスチャンになって何十年にもなるから、聖書を学んで久しいからとかいう理由では、必要なものは何も与えられないが、しかし、「しつように」叫び求めるなら、祈り求めるなら、与えて下さるというのである。

ルターも「私は毎日、朝2時間祈らなければその日の勝利は悪魔に取られます。しかし、私は余りに仕事が忙しいので、毎日3時間祈らなければ決して働くことができません」と言って「しつように」祈り求めたからこそ、宗教改革を成し遂げることができた。私達はどうだろうか?家族や友人の救いは無理ではないか、平和の実現は遠いのではないかと諦め、簡単に祈りの手を降ろてしまってはいないか。赤ん坊の泣き声のように、しつこく叫び求めることを忘れて、神の祝福を経験する機会を失ってはいないか。

新年度を迎え、更に多くの主の御業を見させて頂きたいと願うが、そのためには、「しつように」祈り求めることである。その祈りは、一本の薪のように、一人ではすぐに消えるかもしれない。しかし、燃えている薪の中に入れると、どんなにくすぶった薪でも燃えるようになる。祈祷会はまさに燃えている薪であるので、参加してほしい。「私達は、祈りによって支え合い、神の家族としての交わりを大切にします」上尾教会MS