こつこつと「面倒」に励む   武 章子

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今年もスチュワードシップ月間がやって来た。毎年、証の白羽の矢が飛んでこないかヒヤヒヤするが、今年は巻頭言が飛んできた。字数制限の中で自分に示された事をまとめるというのは実に悩ましい作業だが、じっくり自分と言葉に向き合う「面倒さ」を感謝しつつ綴っていきたいと思う。

昨年末に放送された渡辺和子シスターのドキュメンタリー番組で、シスターが学生たちと合言葉にしていると仰った、「面倒だからしよう」という言葉が私の中にも残った。後日、それがそのまま題名の本が出ていることを知り、つい先日殆ど衝動的に買ってみた。巻頭言どうしよう…という思いが頭の隅にありながら、ちょっと逃避にも似た気持ちで読んでいくうちに、「これってスチュワードシップのことかも…」と思う部分がちらほら。この本との出会いは神様からのヒントだったのかもしれない。

さて、「面倒」だと思った時。ちょっと立ち止まって、してもしなくても自由だけど、どちらか「より良い方」を選んでみようとある。シスターが挙げた事例はこうだ。ある学生が教室を出る時ふと思い直して机に戻り、机の上の消しゴムのカスをティッシュにくるんで出ていった。彼女にはそのまま教室を出る自由もあったが、小さな「面倒」をする自由を選んだ、というのである。なんだそんなこと…と思われるかもしれないが、案外人は生活の中のそんな小さな「面倒」を殆ど無意識にするりと避けているのではないか。逆に言うと、小さな「面倒」をしようとすることは考えて選ぶのであり、ここに思いが込もる。苦労は避けたい、面倒なことはしたくない、お金は沢山欲しい等々、多かれ少なかれ誰もが持っているこれら自然的傾向と闘うことが、「より良く生きる自由」なのだと言う。

スチュワードシップ月間で、これから学ぶ時間や体、献金(お金)、タラントを神様からどう受取り、どう使うのか。その時に自分自身から自由になり、神様がどんな思いで下さった恵みかを考え、「より良い」方を選んでいく。それが神様からの恵みの良い管理人になる秘訣なのではないか。しかし、時に神様からの恵みは試練という形でやってくることもあるが、その時にこそ、「より良く生きる自由」を選べるようになっていたい。

「主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。」詩25:12と言うわけなので、心配せずにこつこつと日々の面倒をする練習をしていきたいと思う。