賛美は力である       

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SMAPが解散に至らなかったのは、ファンの声が合唱となってメンバーに届いたからだと論評した人がいた。一人の声は小さくても、皆の声が合わさって合唱になれば、局面を打開できる力があることを示した。同様に、安保法制の成立後も、平和を願う声が合わさって合唱になれば、局面を打開できるに違いないと信じるものである。

歴代誌下20章に記されている記事を思い出す。神はヨシャファト王に、「私が戦う。あなたは戦わなくてもいい」と言われたが、敵は大勢いて、戦いの準備をしていた。神から励ましの言葉を頂いた王と民はどうしたかと言うと、「ヨシャファト王は地にひれ伏し、全てのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝した。レビ人のケハトの子孫とコラの子孫は立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した」18-19節。明日は敵に向かっていくという時、「礼拝なんてしてる場合じゃない。賛美なんてできる状態じゃない」と思われる緊急事態の中で、神を賛美し、礼拝したのである。

「彼は民と協議した上で、主に向かって歌をうたい、主の聖なる輝きを讃える者たちを任命し、彼らに軍隊の先頭を進ませ、こう言わせた。“主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。”」21節。軍隊の先頭に聖歌隊を配置した。戦うことよりも、神を賛美することを優先した。これが勝利の秘訣である。賛美は力である。私達は毎週、礼拝や祈り会、その他の集会で賛美する。ただ、口から言葉を発するだけではない。「神様、感謝します。賛美します」と神を仰ぐのである。その賛美を通して、神は必ず答えて下さる。

私達は苦難に遭う時、うろたえ、パニックになり、神に頼らないで、自分の考えで行動しやすいのではないか。「この非常時に礼拝なんて行っていられない。他にやるべきことがある。聖書を読む時間があれば、他にやならければならないことがある。祈る時間をさえも惜しんで、仕事をしなければ、勉強しなければ」と、神第一の信仰生活を疎かにする。しかし、神は言われる。「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」と。勿論、主が戦われるからといって、私達が何もしなくてよいと言っているのではない。

私達のやるべきことがある。それは、神を賛美することである。ユダの人々は、戦いの前も、戦いの最中も、戦い終わっても神を賛美した。そこに主のみ業が起こった。私達は苦しい時、なかなか神に感謝し賛美できないかもしれないが、礼拝の中に留まり、賛美の声に耳を傾ける時、神は私達の心の中に、私達の現実の中に、神のみ業を見せて下さる。賛美は私達に力を与えて、神のみ業に参与させて下さる。